一流打者の目安は3割と言われるプロの世界で、2割5分で上等とされるのが代打。試合の途中の緊迫した場面で、いきなり打席に立つことがいかに大変かということの証でもある。その分、成功したときのスタジアムの盛り上がりはすごい。ピンチヒッターと言われるが、代打起用はほとんどがチャンスの場面。そんな代打に関するあれこれを取り上げてみた。
歴代最多の代打本塁打27本を放っているのが高井保弘(元阪急)だ。本職は一塁手だが、守備にやや難があった高井は、代打としての起用が中心だった。しかし、1975年からパ・リーグに指名打者制が導入されてからは、出場機会が増え、1979年にはリーグ7位の打率.324をマーク。
投手の配球やクセを読むのが得意で、試合に臨むにあたって、準備や下調べを欠かさなかった。その緻密さにはID野球の体現者・野村克也(元南海ほか)も舌を巻くほどだったという。
年間代打出場数、年間代打安打の日本記録を持っているのは、真中満(ヤクルト)だ。2007年に代打で98回起用され、31安打。この年の出場試合数は105試合だから、ほぼ代打での出番だったということになる。それでもトータルの年間打率は.319と、立派な数字を残した。プロ15年目、36歳での記録達成だった。
余談だが、この2007年のヤクルトは、野手陣に首位打者の青木宣親、最多安打&打点王のラミレス、35本塁打のガイエル、ほかにも野球巧者の宮本慎也や田中浩康、そこに加えて代打の切り札・真中。さらに投手陣にも16勝8敗で最多勝のタイトルを獲得したグライシンガーがいた。にもかかわらず最下位に沈んでいる。
一打で球史に残る快記録を生み出したのが近鉄時代の北川博敏だ。
2001年9月26日。リーグ優勝へマジック1で迎えた近鉄は、オリックスと対戦。2対5と3点ビハインドで迎えた9回裏、安打と四球で無死満塁という絶好のチャンスを迎える。ここで代打として送られたのが北川だった。
マウンドにはオリックスのクローザー・大久保勝信。カウント1ボール2ストライクからの4球目のスライダーを振り抜いた北川の打球は、大阪ドームの左中間スタンド2階席まで届く完璧な当たり。この瞬間、近鉄の12年ぶりのリーグ制覇が決まった。「代打」「逆転」「満塁」「サヨナラ」「優勝決定」。どれかひとつでも劇的なのにそれが全部乗せ。もちろん、これは史上初の一打だ。
殊勲の北川は、ホームベース上で待ち受けるチームメイトから手荒い祝福を受け興奮は最高潮に。その熱量のまま梨田昌孝監督の胴上げになだれ込むという歴史的な光景が繰り広げられたのだった。
これまで、多くの球団で代打の切り札が存在したが、阪神のこの立場の選手だけは、なぜか「代打の神様」と、神格化される。
その由来や、初代は誰なんだ、という部分に関して諸説はあるが、タテジマのユニフォームを着て代打として活躍した選手といえば、川藤幸三、真弓明信、八木裕、桧山進次郎、関本賢太郎、狩野恵輔、原口文仁といった面々の名前が挙がる。
「神様」時代の桧山は、ことあるごとに八木に相談していたという。やはり、その心得は伝統として継承されている部分があるのだろう。
昨季、代打で打率.404という驚異のアベレージを記録した現役「神様」の原口は、年明け早々に大腸がんを公表。2月に入って、手術終了、退院したことを自身のツイッターで報告している。ここからリハビリ、トレーニングと復帰へ向けての道をたどることになるが、チームとしても欠かせない選手であることは言うまでもない。「神様」が元気にグラウンドに戻ってくることを待ちたい。
文=藤山剣(ふじやま・けん)