荒井の指導方法の特徴は「怒らない」こと。
野球の指導者というと「怖い」というイメージがつきまといがちだが、荒井自身も少年野球時代と中学時代は厳しい監督にしごかれた。
しかし、日大藤沢で出会った当時の監督は、それまでと一転して積極的な指導をする人でなかったため、「自分で考えて練習するしかない」と思い、練習に励んだという。
ただ、「積極的な指導をしない」というのは、一見、そう見えただけだった。その後、13年回在籍したいすゞ自動車でいろいろなアドバイスを受け、生き残りをかけて考え抜くなかで、高校時代の監督のスタイルが、実は「教えない教え」だったことに気づく。
このような経験が土台になったことで、「選手をあまり怒る必要はないんじゃないか」という考えが生まれ、以降、「じっと見守る」という荒井流になっていった。
なお、山本昌(元中日)は、日大藤沢での1年後輩。3年夏には荒井がエースで、山本が2番手投手。夏の神奈川大会に向けて、2人で学校の周りを走り込んだという。
荒井には譲れないものがある。「凡事徹底」という信念だ。
「本物とは、中身の濃い平凡なことを積み重ねること」という考えのもと、キャッチボールや全力疾走などの基本的なことには徹底してこだわる。そして、選手に考えさせる。また、自分勝手なプレーを許さず、あいさつや掃除など生活面にも厳しく目を光らせる。
野球の技術的なことについては怒らないものの、当たり前のことができていないときは容赦なくカミナリを落とすそう。
周囲から「荒井は甘い」と言われた時期もあったが、「誰にでもできることを、誰もできないくらいやる」という信念がチームを全国の頂点に導き、今日の前橋育英を形作っている。
■青柳博文(健大高崎)
2002年に創部と高校野球界では新興の健大高崎。その創部と同時に監督に就任したのが青柳博文だ。
2011年の夏に甲子園初出場を果たし、初戦を突破。翌2012年のセンバツではベスト4まで勝ち進み、全国に「群馬に健大高崎あり」とその名を知らしめた。
健大高崎といえばスローガンに掲げる「機動破壊」。徹底的に次の塁をうかがう走塁技術で相手バッテリーを翻弄。新時代の機動力野球を作り上げた。
就任からしばらく青柳は「打ち勝つ野球」を掲げていた。しかし、2010年夏の群馬大会準決勝・前橋工戦で、それまでの4試合で32点を挙げていた打線が沈黙。0対1で完封負けしたことを重く受け止め、「足を絡めてノーヒットでも点を取れる野球」にシフトすることに。
これが「機動破壊」の第一歩となった。
「盗塁死は怒らないけれど、走らない選手は怒る」という指導で走塁を鍛え上げられた健大高崎の選手は、2011年夏の群馬大会で大会新記録となる28盗塁を打ち立て、悲願の甲子園切符をつかむ。そして先述の通り、翌2012年のセンバツはベスト4進出を果たした。
青柳の目論見通り「機動破壊」がものの見事にハマり、高校野球に新風を吹き込んだ。
なお、「機動破壊」とは「単に『機動力野球』とするよりも『破壊』をつけたほうがインパクトが増す」という理由で青柳が編み出した造語だ。
2014年の夏の甲子園では、1番打者・平山敦規(現東海大)が「機動破壊」の象徴として走りまくり、1大会のタイ記録に並ぶ8盗塁を挙げる。チーム全体でも2回戦の利府戦では11盗塁と塁上をかき回し、大会通算(4試合)で26盗塁をマーク。
準々決勝で優勝校の大阪桐蔭に2対5で敗れたが、ブラッシュアップした「機動破壊」で、強烈なインパクトを残した。
最後に、青柳が選手に「機動破壊」の意識を植えつける指導法を見てみよう。
入部してすぐに盗塁や走塁の基礎を学ぶ技術面の指導は当然だが、「盗塁の失敗は叱らない」という方針が大きいものと思われる。
青柳は盗塁において大事なものを「勇気」だとしている。その勇気を選手に臆することなく発揮させるために、「萎縮させることはご法度」と考えているのだ。
そして、つい口を出したくなる場面でも青柳はグッと我慢。そうすることで、選手が積極的に自らの判断で次の塁をうかがうようになり、「機動破壊」はさらに精度を高め、威力を増していくのだ。
今回は群馬を代表する2人の監督を取り上げたが、やみくもに「叱らない」という共通点があった。
自分の意図するように選手が動かないと、どうしてもやかましく言いたくなるものだ。しかし、口を出さずともチームは強くなれるという事実は、とても興味深い。
現在、2016年春夏秋、2017年春と群馬の決勝は4大会連続で前橋育英と健大高崎の対戦になっている。この夏はどんな結末が待っているのか。
文=森田真悟(もりた・しんご)