阪神にとっては恒例の夏場の長期ロードだが、過去を少し振り返ってみよう。
長期ロード中の本拠地開催としては、1965年から1979年までは、お盆の時期に京都の西京極球場で3連戦が組まれていた。大文字の送り火で知られる京都は、1年の中でお盆の時期がもっとも暑い。
当時は今と違い、宿泊先では一流選手以外は相部屋が当然。移動も新幹線から特急や在来線を乗り継ぎ、長距離バスでの移動も当たり前だった。暑い最中での快適とは言えない移動や宿泊環境が選手の力を奪い取っていく。ゆえに夏の長期ロードは、いつからか「死のロード」と呼ばれるようになったのだ。
しかし、1988年からはグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)で試合が行われるようになり、選手たちは神戸、大阪の自宅から球場入りし、ひと時の休息期間を取ることができるようになった。
さらに、1997年には大阪ドーム(現京セラドーム大阪)が完成、お盆の時期に冷房の効いたドーム球場でのプレーできるため、選手の疲労はかなり軽減された。
かつては、東京ドームもナゴヤドームもなかった。長期ロード中はすべて屋外ゲームだったことを考えると、ずいぶんと環境が改善されたといえる。
今シーズンの阪神の1カ月に渡る長期ロード日程を見てみると、京セラドームでの本拠地開催となる3連戦が2度組まれている。
また、ビジターではあるが、東京ドームやナゴヤドームといったドーム球場での試合が合計12試合組まれており、本拠地・京セラドームを合わせると、長期ロード中の27試合のうち、じつに18試合がドーム球場開催となっている。
そう考えると、炎天下の時間帯に甲子園入りし、試合前練習で汗を流すよりも、ドーム球場の方が体力の消耗を避けられる、ともいえる。選手たちは比較的、体に負担の少ないコンディションで試合に望めるはずだ。
今は、過酷な長時間移動や宿泊環境に耐えていた「死のロード」の時代とは程遠い、快適な環境だといえる。
夏場の失速が代名詞のようになっている阪神。しかし、ここ最近の長期ロード期間中の負け越しは、前述した通り、遠征疲れによるものではなさそうだ。
今シーズンの阪神は、夏場にどんな戦いを見せてくれるのか。
他球団と比べ、先発投手陣も頭数は揃っている。中継ぎと抑えはリーグトップの防御率を誇っている。
野手陣では糸井嘉男、糸原健斗のケガによる離脱は痛いが、新外国人選手のロジャースは一人気を吐き、糸井の穴を埋めている。
再び打線が調子を上げ、前半戦不在だったロジャースと西岡剛がチームを引っ張ってほしい。そうなれば、夏場に弱いというジングスを払拭し、再び上位争いに参戦できる可能性が出くるのだが……。
「高校野球で甲子園が使えないから」という「死のロード」時代の言い訳は、もう使えないことだけは確かだ。
文=まろ麻呂
企業コンサルタントに携わった経験を活かし、子供のころから愛してやまない野球を、鋭い視点と深い洞察力で見つめる。「野球をよりわかりやすく、より面白く観るには!」をモットーに、日々書き綴っている。