今オフは大谷翔平のエンゼルス入団が決まり、牧田和久のポスティングも公示されている。日本球界からのメジャー挑戦はオフの見どころだが、一昔前はやや毛色が違った。
1995年に2人目の日本人メジャーリーガーになった野茂英雄。現代のメジャー挑戦のパイオニアになった野茂だが、近鉄からドジャースへ移籍した1994年オフは揉めに揉めた。契約交渉では代理人交渉や複数年契約を求めた野茂だったが、シブチンだった当時の近鉄はこれを一蹴。同年は右肩の故障でフル稼働できなかったこともあり、メディアは「わがまま」と報じ、両者の亀裂はさらに深まった。
ついに球団側は「契約更改しなければ任意引退」の姿勢を示し、野茂もこれにサイン。ただ当時は任意引退後の海外でのプレーに制約はなく、1995年初頭に野茂はドジャースとマイナー契約を結び、メジャー挑戦を決めたのだった。
2004年の球界再編をめぐる騒動でその名を轟かせ、一躍有名企業になったライブドア。新規参入では楽天に敗れたものの、堀江貴文氏の目はまだ光っていた。
2005年オフにメディアを騒がせたのはライブドアの広島買収案だ。今でこそ輝きを放っている広島だが、当時は旧広島市民球場で細々と運営されており、忌憚なくいえば貧乏球団だった。江藤智を巨人に、金本知憲を阪神にFAで引き抜かれ、ファンとしても広島の貧乏ぶりには胃を痛めていた。やや飛ばし気味の報道だったが、ライブドアの買収案を歓迎するファンもいるほどだった。
近年になって堀江氏も広島・松田元オーナーに買収の話をしたことがあると認めている。翌2006年のライブドアショックで買収案は立ち消えになったものの、「もしも」買収が成功していたならば、ソフトバンク・孫正義オーナーのように広島の夜空を舞うホリエモンの姿があったかもしれない。
契約交渉が難航し、年内に交渉がまとまらない「越年」。近年はほとんど見ないオフの風物詩だが、ゴリゴリとやってのける奴がいる。ヤクルトのマスコット・つば九郎である。
当初は語呂合わせで年俸2896円などの茶番だったが、人気が出るにつれ、調子に乗りはじめた。2013年オフに初の越年になると1月中も契約がまとまらず、ついに自費キャンプに突入。結局、デビュー20周年のご褒美として、20パーセントアップの1万2000円を勝ち取った。
2014年オフも越年し、2015年オフには3年連続越年で年俸2万2000円に到達した。ちなみに昨オフは契約交渉に遅刻し、貼り紙で現状維持が告げられている。
現在のつば九郎の年俸は2万2000円だが、はじめの2896円の可愛さは微塵もない、茶番としてはリアルな数字になっている。
文=落合初春(おちあい・もとはる)