先述した通り、菅野が3試合連続完封を達成したときに名前が挙がったのが、1990年代の巨人のエース・斎藤雅樹だった。
斎藤といえばサイドスローから放たれる140キロ後半のストレートとスライダーを武器に、桑田真澄、槇原寛己らと「先発三本柱」を形成。沢村賞を3度受賞した大投手だ。
その斎藤を語る上で欠かせないのが1989年に達成した11試合連続完投勝利。
この年、藤田元司監督が2度目の監督就任。藤田監督は斎藤が入団した1983年当時も監督を務めており、斎藤をオーバースローからサイドスローに転向させた経緯があった。
藤田監督のもと、斎藤は前年の中継ぎから先発に配置転換。5月10日の大洋戦で、終盤のピンチを何とか切り抜け、9回2失点で勝利投となる。この一戦を機に斎藤は一気にブレイクし、3試合連続完封を含む完投勝利を重ねていく。
7月8日の大洋戦では、鈴木啓示(元近鉄)が1978年に達成したプロ野球記録の10試合連続完投勝利に並ぶ。そして7月15日のヤクルト戦で完封。新記録となる11試合連続完投勝利を成し遂げた。この年、斎藤は20勝を挙げ巨人の優勝に大きく貢献。大エースの道を歩き始める。
また、斎藤で忘れられない連続記録といえば、1994年から1996年にかけての3年連続開幕戦完封勝利もある。特に1996年の開幕・阪神戦では、あわや完全試合という1安打完封勝利。圧巻の投球内容だった。
NPBにおけるシーズンMVP最多獲得は、1994年から1996年にかけてのイチロー(当時オリックス)、そして1976年から1978年にかけての山田久志(元阪急)の3回だ。
その山田は「サブマリン」と形容されたアンダースローで通算284勝をマーク。一時代を築いた。
山田の連続記録といえば、NPB記録となっている12年連続開幕投手。1975年に初の開幕投手を任されたが、この年の成績は12勝10敗と圧倒的なものではなかった。
しかし、翌1976年は開幕戦で完封勝利を挙げ幸先いいスタートを切ると、この年から使い始めたシンカーを武器にキャリアハイとなる26勝と大活躍。以降、エースとして、毎年、開幕戦の先発投手を任された。
開幕投手記録がストップしたのはプロ19年目の1987年。この年、阪急の開幕投手は、前年に最優秀防御率を獲得した後輩の佐藤義則だった。山田はわずか7勝と苦しいシーズンを送り、プロ2年目から続けてきた2ケタ勝利もここで途切れた。
そして1988年、40歳になった山田は4勝10敗と不本意な結果に終わり、この年限りでユニフォームを脱いだ。
近年、最も脚光を浴びた投手の連続記録といえば、2013年に田中将大(ヤンキース、当時楽天)が成し遂げたシーズン24連勝だろう。
田中は開幕から勝ち星を重ね、連勝は10を越えていく。連勝ストップのピンチに立たされたのは14連勝がかかった7月26日のロッテ戦だった。
2回に鈴木大地に先制弾を浴びると、1対1の同点で迎えた6回には井口資仁に勝ち越し弾を打たれ、9回表を終えて1対2。「もはやここまでか……」と思われたがその裏、嶋基宏のサヨナラ打で楽天が勝利。9回を投げ切った田中が勝利投手となった。
その後も勝ち続けた田中は24勝0敗1セーブという驚異的な数字を残し、楽天初のリーグ制覇に貢献した。
なお、シーズンは無敗だったが、巨人との日本シリーズ第6戦では完投するも4失点で敗戦投手に。ポストシーズンではあるが、この年、唯一の黒星を喫した。
文=武山智史(たけやま・さとし)