通算盗塁数:596盗塁
盗塁王:5回
所属球団:南海
実働期間:1956年〜1977年
日本球界における盗塁の始祖といわれるのが広瀬叔功。盗塁王が公式の連盟表彰に制定された理由は「広瀬があまりに盗塁するから」である。
片手をかけただけで自分の身長以上の塀に飛び乗った。センターからポール際の打球を捕った。高校時代には牽制ではなくマウンドから走って二塁走者を刺したなど、爆発的な身体能力で数々の伝説を残している。
福本も少年時代から広瀬に憧れ、社会人時代は広瀬と同じ背番号12を着けていたという。
通算盗塁数:579盗塁
盗塁王:6回
所属球団:巨人
実働期間:1962年〜1981年
V9時代の巨人を支えた韋駄天・柴田勲。日本におけるスイッチヒッターの草分け的存在でもある。
柴田のトレードマークは赤い手袋。実はアメリカキャンプの際にケガをして手袋を買いにいったが、女性用の赤い手袋しか手にフィットするものがなく、仕方なく着用していたところ、ほかの選手からカッコいいと評判になり、そのまま愛用。こうしてトレードマークになったという。
現在は赤を差し色にしている選手も多いが、赤いバッティンググローブは柴田がパイオニアだ。
通算盗塁数:479盗塁
盗塁王:4回
所属球団:南海〜近鉄
実働期間:1948年〜1959年
南海「100万ドルの内野陣」の遊撃手・木塚忠助。その広大な守備範囲が伝説となっているが、1イニング3盗塁のパーフェクトスチールを日本のプロ野球で初めて達成するなど俊足も伝説的。ランニングホームラン通算5本は歴代1位タイの記録だ。
通算盗塁数:477盗塁
盗塁王:3回
所属球団:広島〜ロッテ〜阪神
実働期間:1976年〜1992年
広島伝統の機動力野球の申し子・高橋慶彦。盗塁死は歴代2位の206個を記録しているが、それは恐れずに走りまくった証だ。走りまくって相手を翻弄するスタイルを確立した。
通算盗塁数:456盗塁
盗塁王:3回
所属球団:名古屋〜急映〜大映〜松竹〜広島
実働期間:1943年〜1957年
高橋が申し子ならば、広島の機動力野球を作ったといえるのが金山次郎。松竹では機動力+長打力の「水爆打線」の韋駄天として鳴らしたが、小鶴誠、三村勲らと広島に移籍してからは、松竹の野球を黎明期の広島に浸透させた。広島の機動力野球の原点は、松竹にあるともいえる。
通算盗塁数:415盗塁
盗塁王:4回
所属球団:近鉄
実働期間:1981年〜1997年
大石大二郎は1983年に60盗塁を記録し、福本の連続盗塁王をストップさせた男。特に三盗の名人として知られ、三盗通算71盗塁、3盗塁死の大記録を残している。
通算盗塁数:390盗塁
盗塁王:1回
所属球団:南海〜国鉄
実働期間:1947年〜1963年
木塚らとともに南海の「100万ドルの内野陣」を形成した飯田徳治。一塁守備の名手であり、巧打者としても知られるが、俊足も売りで一塁手の概念を変えたと言われる。30代に入ると一塁から中堅にコンバートされたが、俊足ならではの希少なケースのポジションチェンジだ。
◎9位タイ:呉昌征
通算盗塁数:381盗塁
盗塁王:1回
所属球団:東京巨人軍〜阪神軍〜毎日
実働期間:1937年〜1957年
台湾・嘉義農林高の中心選手で戦前戦後期のプロ野球で活躍。俊足強肩で、その馬力から「人間機関車」と呼ばれた。終戦直後で選手が足りなかったため、1946年には投手を兼任。戦後初のノーヒットノーランを達成するなど、計り知れないポテンシャルの持ち主だった。プロ野球界初の実働20年を達成。
◎9位タイ:赤星憲広
通算盗塁数:381盗塁
盗塁王:5回
所属球団:阪神
実働期間:2001年〜2009年
平成の盗塁王は間違いなく赤星憲広。ルーキーイヤーから5年連続で盗塁王を獲得し、2000年代の阪神復活のキーマンになった。首のケガで2009年に電撃引退したが、同年も31盗塁をマーク。満身創痍でも走り続けた。
◎11位:荒木雅博
通算盗塁数:376盗塁
盗塁王:1回
所属球団:中日
実働期間:1997年〜
(※現役1位、盗塁数は6月7日現在)
現役1位の盗塁職人は先ごろ、2000安打を達成した荒木雅博。今季も3盗塁を記録しており、歴代ランキングトップ10は射程圏内。的確な判断と果敢なスライディングはこの先の語り草になるだろう。
文=落合初春(おちあい・もとはる)