全国的に無名だった高校、大学時代を経て、ドラフト会議直前になって新聞紙上を賑わせたシンデレラボーイ・増田達至(NTT西日本)。150キロを超えるストレートで勝負できるリリーフ向きのスタイルは、今の西武にうってつけの人材と言えるだろう。つかみどころのないキャラクターも含め、愛される選手になりそうだ。
西武のドラフト1位指名を受けてから初めての公式戦。
社会人日本選手権1日目の11月3日、三菱重工横浜との1回戦。延長12回表、規定によるタイブレークの1死満塁の場面で、京セラドームのアナウンスが「ピッチャー・増田」をコールした。
その瞬間、観客席から大歓声があがった。 すごかった。NTT西日本側の応援人数もすごかったが、たぶん球場に集まった人みんなが、一目増田を見たかった。
この日投げた10球はすべてストレート。主軸の二人を打ち取り、チームのサヨナラ勝ちを呼び込んだ。
中村光宏マネージャーによると、試合が終わったあともすごかったそうだ。サインを求める列が延々続いた。同社から1位指名を受けてプロに進んだ選手は他にもいるが、「あれだけ並んだことは、過去にないです」。本人はそのファンに囲まれる状態を「苦手ですね」と照れ笑い。
正真正銘の本格派。ダイナミックなフォームからの剛速球。力勝負でねじ伏せる投球は、老若男女、素人玄人問わず、誰にとってもわかりやすい魅力に違いない。そのスタイルを貫いていければ、プロでも一握りのスタープレーヤーになる可能性を秘めている。
増田は兵庫県の淡路島出身。洲本市立由良小4年から「由良少年野球クラブ」で野球を始めた。
きっかけは「弟が先にやってて、楽しそうやったから」と言う。だいたい兄がやっていてというのが普通だろうが、弟がやっていてという新しいパターンだ。増田らしいエピソードかもしれない。
「(弟のほうが)気が強い感じですね。自分はマイペースでのんびりと…」
由良中軟式野球部3年のときから本格的に投手となった。中学時代で人に言えるような成績は「なんもないです」。
地元の柳学園高に進学し、1年秋からエースとなったが、2年夏は4回戦で負け、3年夏は2回戦で負けた。
高校当時「今の増田投手の片鱗があったか?」と聞くと、「まったくない」とのこと。
「人数も人数だったんで。部員10人ぐらいで、いつもギリギリでやってたんですよ。球速?130台半ばとかじゃないですか」
高校卒業後は就職する予定で、野球も辞めようと考えていた。
しかし、当時の高校の監督から「『野球がしたいんか』みたいな言葉をいただいて、『したいです』って言ったら、福井工大を勧めてくれました」
何が何でも野球をしなければというほどの強い思いはなかったようだが、促されるまま淡路島から初めて足を踏み入れた福井県。
「寒いぞとは言われてました(笑)。実際、冬は結構雪で外はあまり使えなかったんで、ずっと室内で練習してました」
この大学時代に、今の増田ができ上がっていく。
体つきがまず変わった。高校までは体重が65キロほどで細かったのが、80キロまでに増えた。そしてスピードも最速149キロまで伸びた。
「3年の冬に筋トレをして、体重もスピードも上がりました。4年生最後なんで、悔いなく1年間やろうと思って、嫌いな筋トレもやって…」
1、2年のときはやっていなかった。実は「あまり練習が好きじゃなかったんで」と明かす。
一気に伸びたことについて、「こんな急にやって、そんな成長するんかなと逆に不思議だった」そうだ。
大学時代で一番心に残っている出来事は4年の春。9連勝してあと1勝したら神宮へというところで、2連敗したことだ。結局、全国の地は一度も踏めなかった。
「力不足だったんじゃないかなと思います」
──そこから意識が変わったとか?
「特に」
──悔しくて猛練習したとか?
「そういうのもないです。継続はしましたけど、特に変えることもなく」
時にはいじわるな質問。時には誘導尋問的な質問。インタビューするこちらの盛り上がりをよそに、どこ吹く風。淡々としている。このあまり物事に一喜一憂せず自分のペースを死守するところが、ザ・増田という感じだ。
──今は?
「がんばってます(笑)」
「いや、練習はしますよ。休みのときも走ってる姿をよく見ます」
と中村マネージャーがすかさずフォローを入れる。
好き嫌いだけでいうと練習は好きではないが、当然ながらやるべきことはきちんとやっているのだろう。
大学4年時、プロ志望届は出さなかった。出していれば指名される可能性はあったが、本人の中にはまだ明確なプロへの意識というものはなかった。
NTT西日本としてもぜひ増田の力を借りたいし、周囲も社会人で心も体ももう一回り成長してからプロへ行ったほうが、より本人のためにいいだろうという考えがあったようだ。
次回、「ストレートのすごみ」
(※本稿は2012年11月発売『野球太郎No.002 2012ドラフト総決算プレミアム特集号』に掲載された「26選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・小林美保子氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)