日本シリーズ三連覇を達成した阪急時代。「がんばろうKOBE」の言葉とともに日本一へ駆け上がったブルーウェーブ時代。そして2004年には近鉄と合併するなど、様々な時代を経て今日に至るオリックス。
その間、米田哲也や山田久志、福本豊、イチローなど、数えきれないほどの名選手を輩出。球団史にはとても豪華なメンバーが並ぶ。ただ、それだけに不思議に思うこともある。永久欠番がないのだ。
正しくは、かつては存在したが、今はイチローの「51」が準永久欠番という扱いになっているだけ。ただ、51も選手たちが尻込みしているだけで、球団としては与えたいというスタンスなのだ。
一見すると、「球団は背番号の重みをわかっていない」ように映る。しかしチームとはその一時期だけで終わるものではないので、「過去を大事にしながらも、未来へ向けて進んでいこう」というメッセージとも受け取れる。
そこで今回は、オリックスの背番号に潜む意味を探っていく。
阪急とオリックスの主な名投手が付けていた背番号というと、佐藤義則の「11」、山田久志の「17」、米田哲也の「18」、今井雄太郎の「21」が挙がる。
現在はそれぞれ、松葉貴大、山崎福也、岸田護、西勇輝が背負っているが、投手としてのタイプが先人に合致しているわけではない。しかし多くはドラフト上位で獲得した期待の選手なだけに、球団が彼らに夢を馳せるのは当然のこと。
岸田と西が頑張っているだけに、松葉と山崎にも、ぜひとも続いてもらいたい。それが叶えばオリックスは、かつての阪急のような投手王国が復活することだろう。
一方で、打のレジェンドとして名前が挙がるのが、福本と長池徳士。彼らの「7」と「3」は、退団直後こそ誰も付けなかったが、しばらくして解禁。現在は糸井嘉男と安達了一の背番号となっている。
松井秀喜の登場以降、スラッガーの代名詞となった背番号「55」。そしてオリックスで55を背負うのが、T-岡田である。
履正社高では1年の夏から4番を任され、高校通算55本塁打を記録。その長打力から、与えられた異名は「浪速のゴジラ」。当たり前のように55を付けると、3年目でホームラン王を獲得するなど、一時は本家を超える活躍を見せた。
昨年の9月15日、オリックスは「通算5000勝」という節目に到達した。パ・リーグでは一番乗り。先人が作り上げた歴史を繋いで繋いで、あの記念すべき日を迎えた。
5000勝の1勝目を挙げたのは、今からちょうど80年前なので、当時のことを覚えている人はとても少ないだろう。しかし背番号は、きっと覚えているはずだ。
デザインや書体は変わっても、常に球団にあり続けるもの。そして選手と共に戦っているものが、背番号なのだから。
文=森田真悟(もりた・しんご)