1961(昭和36)年の秋から、打撃コーチの荒川博と二人三脚で一本足打法へのフォーム改造に取り組んでいた王貞治。この日は雨が降り、試合開始が30分遅れた。その間に行われた監督コーチ会議で、6月から不振に陥っていた王に話が及ぶと、打撃コーチの荒川とヘッドコーチの別所毅彦が大ゲンカ。「だったら打たせてやりますよ!」と荒川は啖呵を切り、王に一本足打法の解禁を指示した。