二遊間が不安な中日が2位指名いたのは鉄壁の守備力を誇る大型遊撃手。鳥谷敬に憧れ、4年間リーグ戦全試合出場を果たした男は、妥協なき日々を精進してきた。
苦しんだこの半年。走攻守、いずれにしても精彩を欠いた春季リーグではあったが、自身初となる大学日本代表に選出。遊撃手として優勝に貢献したが、京田の中ではドラフトで指名を受けるかどうか確信に近いものはなかった。
秋のリーグ戦前、「雑誌とかでも上位候補と言われていますが、冷静に、客観的に見ると自分はそういう立場ではないと思っています。選ばれるかどうかという立場なので」と心情を吐露していた。
自分なりに自信を持っていたディフェンス面。だが青森山田ではそれが根幹から覆された。捕球の姿勢や投げるためのステップなど基礎から始まり、ゴロ捕球はもちろん、ボールを使わずイメージトレーニングにも時間を費やした。
「『ココまでやるか』とビックリするくらい追求して教えてもらいました。捕って送球してというのも何回も何回も繰り返しました。1日500〜600球くらいやったとは思いますが、もう数えられないくらい。誰にも負けないと思います」
決してビッグマウスではなく、むしろ控えめな発言が目立つ京田だが、こと守備について話す時はその裏に強い自信が感じられる。
高校時代にもプロからの話はあった。それでも日本大進学の意思は固かった。
「木のバットに対応できる体、技術がまだまだだったので、もう一度レベルアップできるようにという考えでした。周りからはプロに行けると騒がれましたが、自分では今のままでは通用しないと思っていました」
日大入学後すぐ、仲村恒一監督は京田を指名打者で起用した。
「高校時代からプロで、しかも上位でという球団がいくつかありました。だからその評価よりも高くして送り出してやらなければいけないなというプレッシャーを感じたのが、すぐに起用した一番の理由です。人間的に大きく育てたい、ケガをさせてはいけない、と」
また、「上級生や中心選手に厳しく」という仲村監督の指導方針から、3年生までは京田が一番怒られていたという。
「一番いい選手を一番厳しくしないとチームがダメになります。でも京田の場合は4年になってからは言うことがなくなりました」
自覚が芽生え、監督も舌を巻くほどの成長を遂げた大学生活。最後のシーズンでは見事、リーグ優勝に貢献した。
京田はこの4年間、リーグ戦全試合に出場している。1年時こそ途中出場や途中交代があるものの、2年からはフルイニング出場を果たした。この辺りも、彼がお手本にしている鳥谷敬(阪神)と通じるものがある。
「鳥谷選手はずっと出場し続けられる体の強さ、体調管理がすごいです。自分も大きなケガをしたことはないですが、大学に入ってからは体調管理に気をつけています。試合に出られなくなるのが嫌ですし、無理してチームに迷惑かけるより、いつも万全な状態でプレーできるようにと。プロとアマは違いますが、僕も全試合フルで出られるよう、体もしっかり管理しなければと思うようになりました」
もちろん、仲村監督の言う「大きく育てる」という方針の下に叶った全試合出場ではある。しかし、欠場するほどのケガや体調不良もなくリーグ戦を戦い抜いた体の強さも彼の大きな武器だろう。
指名直後の会見では、目標にしている選手に関して質問が飛んだ。京田の口から出た名前は立浪和義氏(元中日)だった。京田が鳥谷を目標にしていることを以前から何度も聞いていたので、疑問に思えてならなかった。取材がひと段落ついた合間にその真意を直接聞くと、それは京田なりの配慮だった。中日から指名を受け、阪神の現役選手の名前を挙げることにためらいがあったのだった。もちろん立浪氏も言わずもがなの名選手であり、著書を読んだことがあるほど同じ内野手として意識を強く持っていた存在でもある。
「立浪さんはバッティングもすごかったので、自分も状況に応じたバッティングでアピールしたいです。またピッチャーに安心感を与えられる守備ができればいいと思います。立浪さんのように3拍子揃った選手になりたいです。そして1日でも早く1軍に行き、1年でも長くチームに貢献したい。そのためには何でもやるつもりです」
ようやく立ったスタートライン。妥協なき日々を過ごしていけば結果はついてくる。
(※本稿は2016年11月発売『野球太郎No.021 2016ドラフト総決算&2017大展望号』に掲載された「28選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・山田沙希子氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)