「セルフ戦力外」
ファンの間でそう囁かれてしまうなど、逆の意味で注目を浴びてしまった木村。球団の施設を使うことができず、孤独に自主トレに励む様には悲壮感すら漂っていた。その姿は、FA権を行使した一流選手とは到底思えるものではなく、むしろ戦力外通告を受けた選手のようだった。
無謀なFAと、半ばネタ気味に笑うファンもいた。そんな世間からの逆風を他所に、オファーを信じ黙々と練習をする木村の姿勢には強い意志が感じられた。
そもそも木村はなぜ、無謀とも言えるFA移籍に踏み切ったのだろうか?
年俸面でも広島は敬意を払ってくれた。チームへの愛着も強い。それでも移籍を決断したのは、レギュラーへの強いこだわりからだ。その気持ちに嘘をつけない。木村は自ら、恵まれた環境と決別したのだった。
そして、年も押し迫った師走下旬、西武から木村に連絡が入る。
西武からのオファーは、テスト生として春季キャンプへの参加要請だった。FA行使選手として前代未聞のテスト生扱い。
しかし、当の木村はFA行使選手のプライドをかなぐり捨て、がむしゃらにひたむきに野球に取り組む。
そのひたむきな姿勢が、首脳陣に通じたのか? 当初10日間を予定していたテストを6日間に縮め、西武への入団が決まった。背番号は0。まさにゼロからのスタートを切ったのである。
2000万の年俸は前年から半額以下。FAを行使しての大幅減額であるが、木村自身は新たなステージに立つことができた喜びの方が大きかったようだ。
「FA宣言をして、色んな事を思ったし感じたが、覚悟して宣言した。FA宣言が正しかった、これで良かったと、胸を張って言えるよう、そう思えるようにやっていくだけです。」
そう語る木村の表情は、再びがむしゃらに野球ができる喜びと、強い覚悟が感じ取れた。
テストには合格したものの、オープン戦で絶不調に陥った木村は開幕を2軍で迎える。しかし、ここで腐ることなく2軍で出番を待ち続けた木村にチャンスが訪れた。
4月23日、鬼崎裕司と入れ替えでついに1軍昇格を果たす。すぐさまその日の試合で守備から出場。サヨナラの絶好機に、三振をきっするも送りバント、移籍後初ヒットを放つなど存在感を発揮。
そして早くも転機が訪れる。4月30日、ここまで打率.381と絶好調だった渡辺直人がケガで戦線離脱。その代役に選ばれたのが木村だった。
翌日から早速スタメンに入ると、今日に至るまで2番打者として7試合連続でスタメン出場を続け.371の高打率を記録。5月5日には念願だった遊撃手でのスタメンを果たすなど、一塁=3試合、三塁=3試合、遊撃=1試合と、ユーティリティーぶりも発揮している。
元来、木村は2010年、東出輝裕の代役として頭角を表した選手だ。2011年には梵英心、2013年は堂林翔太の代役としも大活躍。負傷者が出ても木村という切り札がベンチにいるとこれほど頼もしいことはないと、ファンに知らしめた。その真骨頂を新天地でも発揮している。
グラウンドに深々と一礼してから、守備位置まで全力疾走。今年で36歳のベテランながらプレースタイルは不変だ。
「毎年、自分を更新している手応えがある」
本人がそう語るように、肉体はまだまだ若々しい。FAでどん底を味わった男のサクセスストーリーが今始まった。
文=井上智博(いのうえ・ともひろ)