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広島市民球場最終年の激闘。暗黒時代の広島に輝いた一筋の希望。君は伝説の2008年を知っているか?

文=井上智博

広島市民球場最終年の激闘。暗黒時代の広島に輝いた一筋の希望。君は伝説の2008年を知っているか?
 今シーズン、広島は最終戦までCS進出を争いながら惜しくも70勝70敗3分の4位でシーズンを終えた。今から11年前の2008年、同様に最後までCSを争ったシーズンがあった。

 暗黒時代の真っ只中で起きたこの「伝説のシーズン」を余すことなく記したい。

壮絶な罵声で幕を開けたシーズン


 2008年シーズンを語る前に、当時の広島を取り巻く背景を説明したい。

 この当時の広島は1999年から2012年まで続いた14年連続Bクラスの真っ只中という極度の低迷期にあった。

 その低迷期のなかでも特に深刻だったのがこの2008年。というのも、前年のシーズンオフにエース・黒田博樹と4番の新井貴浩がFAでチームを離れていったからだ。5位に終わったチームからエースと4番が抜ける…。この危機的状況に落胆したファンは数知れない。

 奇しくも2008年は、広島市民球場のラストイヤー。「最後の花道を」と思いを寄せていたファンにとっては残酷な現実であった。それ故に「今年ももうダメじゃな…」と、シーズンが始まる前から諦めていたファンも多くいたのだった。

 そんな停滞ムードのなかで迎えた2008年。開幕カードを未勝利に終わるなど、3、4月は予想通り苦戦する。見どころは本拠地開幕戦となった4月1日の阪神戦での新井に対する球場を揺るがすほどの大ブーイングくらいだったかもしれない。

 今でこそ、広島の英雄として人気を博す「新井さん」だが、当時はFAでチームを捨てて阪神を選んだ裏切り者として憎悪の的となっていた。レプリカユニフォームが投げ捨てられるほどの光景は、広島ファンである筆者もドン引きするほどのものだったと鮮明に記憶している。

 長きに渡る低迷に加えての移籍劇で、ファンのフラストレーションは限界を超えていたのだろう。

起爆剤は赤松!


「広島は鯉の季節まで」

 そう揶揄されて久しい。しかし、2008年は鯉の季節から意地を見せ始めた。5月、6月を2カ月続けての勝ち越し。鬼門とされていた交流戦でも4年目にして初の勝ち越しを決めるなど、6月終了時には31勝33敗3分で4位まで順位を上げると、停滞ムードにあったチームの雰囲気が一変した。

 その原動力となったのが、主砲へと大成長した栗原健太だ。この年、栗原はキャリアハイの打率.332の好成績を記録する活躍を見せ、新井の穴を補って余りうる大活躍で打撃陣を牽引した。

 そしてもう1人、この時期に栗原とともに印象に残る活躍を見せたか野手が、新井の人的補償で阪神から入団した赤松真人だ。4月29日の巨人戦でプロ初本塁打となる初回先頭打者本塁打を放つと、翌日の試合でも先頭打者本塁打を打つ離れ業をやってのけ、強烈なインパクトを残した(ちなみに翌々日も本塁打を放ち、3試合連続本塁打)。

 赤松は打撃だけでなく、持ち味の足と守備でも広島の野球スタイルにも融合。そのスピード感溢れるスタイルで一躍人気選手となった。その人気ぶりは新井と赤松の「トレード」はお互いに成功だったとすら言わしめたほどのものだった。

 阪神時代は、3年間でわずか36試合の出場と才能を発揮しきれなかった男が広島で開花。新井ショックを払拭したことでチームに勢いがついた。

脱・永川劇場! 絶対的クローザーへ進化


 投手に目を向けると、黒田の穴埋め役を期待して獲得した助っ人、ルイスが八面六臂の大活躍。そして、そのルイスに負けず劣らずの活躍を見せたのが、抑えの永川勝浩だ。不調で出遅れていた永川が、5月からクローザーに座るとともにチームは上昇気流に乗った。

 新人時代からクローザーを任されていた永川だが、制球難で塁上を賑わすことが多かったことから、「永川劇場」など揶揄されてしまうほど信頼感は高くなかった。

 しかし、この年の永川は違った。課題とされていた制球難を投球フォームを変えることで克服。四球、暴投の数を減らすことに成功した。また、打者の視界から消える「元祖おばけフォーク」は健在で奪三振率は9.44を記録するなど、絶対的なクローザーとして進化を遂げたのだ。

 結果としてこの年は、キャリアハイとなる38セーブ(球団記録)、防御率1.77を記録。近代野球は救援投手のデキが鍵を握るといわれるとおり、永川の安定感がチームに安定感をもたらしたのだった。

無念…再び市民球場の土は踏めず


 投打に奮闘する選手が現れたが、7月に負けが込み優勝は絶望的になった。しかし、8月は12勝8敗と勝ち越し、8月終了時で3位の中日まで2ゲーム差に迫る位置につけると、ここから中日と激しいマッチレースを展開する。

 運命の9月、10月はまさに一進一退の大接戦だった。9月19日には中日との直接対決を制し、ついに単独3位に立ったことで盛り上がりもピークに達する。昨シーズンまで3連覇を果たした現在の広島にとって3位でのCS進出は負けに等しい。しかし、当時の広島にとっては、CSはまだ見ぬ「夢舞台」だったのだ。

 特に市民球場ラストゲームとなった9月28日には、次世代のエース・前田健太(ドジャース)が投打に渡る活躍で快勝。前田が放ったプロ1号ホームランの放物線が、市民球場で最後の日本シリーズ開催を願う夢のアーチとファンは確信した、のだが…。

「必ずここへ帰ってくる」

 『宇宙戦艦ヤマト』のテーマソングの一節をスローガンに掲げて最終のロード7戦に挑んだ広島。しかし、いきなり3連敗を喫し失速。最後まで粘りを見せるも10月4日、横浜に大敗し11年連続のBクラスが確定。再び市民球場に帰ってくることはできなかった…。

 悔しい結果だった。しかし、投打の主力が抜けたなかで意地を見せ、市民球場の最後の花道を飾りたいという気概が強く伝わってきた。そんな記憶に残る感動的なシーズンであった。

 この後も数年低迷期が続いたが、2008年の熱い戦いぶりが今日の繁栄の礎となったのは疑う余地がない。

 今シーズン、悔しさを味わった広島。年々優勝メンバーが抜け弱体化が囁かれているが、こんな時こそ2008年の激闘を思い出し、来季は再び頂点を目指してほしい。

文=井上智博(いのうえ・ともひろ)

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