第4回 「サプライズ指名選手」名鑑
「野球なんでも名鑑」は、これまで活躍してきた全てのプロ野球選手、アマチュア選手たちを、さまざまな切り口のテーマで分類し、テーマごとの名鑑をつくる企画です。
毎週、各種記録やプレースタイル、記憶に残る活躍や、驚くべく逸話……などなど、さまざまな“くくり”で選手をピックアップしていきます。第4回のテーマは、「ドラフトでのサプライズ」名鑑です。
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10月25日に、今年もプロ野球のドラフト会議が行われます。報道をにぎわすドラフト候補の交渉権の行方に、多くのプロ野球ファンが注目することでしょう。ドラフトが気になってしまうのは、あの数時間の間に、くじ引きといった偶然に託す形で、若者の運命が決まる場面が続くからではないでしょうか。
そんなドラフトで、運命に翻弄される者、翻弄されまいとあがく者を中心とした人間模様はとても印象的です。本人、指名する球団の思惑が絡み合い、駆け引きした結果、驚くような結末が訪れることも。今回はそんなドラフトでの驚きの中心にいた選手と関係者たちをまとめます。
桑田真澄(PL学園→巨人)
1985年の秋。高校3年間の活躍で全国にその名が知れ渡るスターとなっていた桑田真澄は、くじ引きにより自らの運命が決まるのに抗った……とされていた。PL学園でともにプレーした僚友・清原和博はプロ志望を明確に打ち出し、尊敬する王貞治監督の率いる巨人か地元・阪神でのプレーを希望。桑田はその一方で、大学進学を表明。名門・早稲田大へ入学すると発表しその意思は固いとされていた。
ドラフト当日の11月20日。南海、日本ハム、中日、近鉄と各球団が清原を指名していく。全体で8番目、この年セ・リーグ3位の巨人の指名順がくると、「クワタ マスミ 17歳、投手、PL学園高校」の声が響く。巨人は桑田を強行指名したのである。その後、西武と阪神が清原を指名。抽選の結果、清原との交渉権は西武が獲得した。記者会見上の清原の目には涙があった。その一方で指名を受けた桑田は早稲田大進学をひるがえし、入団を決めた。
今では「実は桑田はプロ入りに心が傾いていた。それを知った西武が桑田の2位強行指名を狙っており、それを察知した巨人が清原をあきらめてでも西武入りを阻もうとした」という話は知られるようになったが、当時は巨人と密約していたと指摘され、桑田は激しいバッシングを浴びた。ただ清原について言えば、熱烈に志望していた巨人に求められなかったことは確か。涙には理があった。
[桑田真澄・チャート解説]
進学希望をしていた早稲田大野球部の監督も「ウチにくる」と発言し、誰もが進学と想像していたところに巨人の指名。まさかの指名度は5。ドラフト直前まで巨人と清原和博は相思相愛と思われていた。清原視点だと裏切られ度も5。選手名を読み上げるパ・リーグ広報部長のパンチョ伊東(一雄)氏もマイクには乗らなかったが「本当に?」と口を動かした。アクシデント性は高くトラブル度も5。
※チャートは、ドラフトでのサプライズの3要素、誰もが想像しなかったかどうかの「まさかの指名度」、何かしらの約束が反故にされたかどうかの「裏切られ度」、予想外の事態などによりドラフト会場や周辺関係者がどれだけ騒然となったかの「トラブル度」について、それぞれ5段階評価しました。(以下同)
江川卓(作新学院職員→巨人)
「空白の1日」で有名な江川だが、しかしよくもまあこれだけ指名され続けたものである。阪急、クラウン、阪神と1位指名を受け、最後に阪神と巨人の間のトレードが成立し、なんとか巨人に入ったが、この経緯だけでも驚きだ。作新学院3年生だった1973年は大学進学を表明していたが、阪急が強行指名。しかし、スカウトは自宅玄関の扉も開けてもらえず。法政大4年生の77年は巨人入団の希望を表明し、ドラフトを迎えるが、指名順2番目の巨人の唯一前に指名権を持つクラウンが指名。江川は再び契約を拒否。
78年のドラフト前日、「クラウンが持つ交渉権はドラフトの前々日で切れる」と野球協約を解釈した巨人は、ドラフト外選手として江川と契約。もちろん球界では非難が集中し、セ・リーグは江川の登録申請を却下。この判断に反発した巨人はドラフトをボイコットした。
さらに巨人抜きのドラフトでは、南海、阪神、ロッテ、近鉄が指名し、この年から始まった抽選で阪神が指名権を獲得した。その後、キャンプイン直前に小林繁(巨人)と江川のトレードが決まり、5年にわたる江川とドラフトの関係はやっと終わった。
[江川卓・チャート解説]
77年のクラウンのまさかの指名では、巨人関係者は顔を真っ青にした。まさかの指名度は5。「空白の一日」がそもそも球界への裏切りととられる部分も多かった。トレードで巨人入りした顛末は、小林繁ファンへの裏切りでもあり、たくさんの敵を作りかねない動き。裏切られ度も5。「江川事件」「空白の一日」は球史に残る大騒動。ドラブル度も5。
福留孝介(日本生命→中日)
清原を超える、高校生としては最多の7球団の指名を受けた福留。「巨人と中日以外は社会人入り」と表明していたにもかかわらず、この指名数はすごかった。抽選では近鉄の佐々木恭介監督が引き当て「ヨッシャー」と叫んで話題になるも、ほとんど禁じ手の、将来希望球団への移籍を可能にするために「数年プレーしたら自由契約」なる条件をちらつかせるなどしたが交渉は頓挫。日本生命に進んだ福留は、3年後の98年のドラフトで逆指名権を得て、意中の中日と契約した。
なお、中日では打撃コーチとなった佐々木恭介元監督と再会。中日ではいい関係を築き、ともに協力し打撃技術を磨いていった。
[福留孝介・チャート解説]
高校生史上最多の計7球団が1位指名はまさかの「数」。まさかの指名度は4。拒絶後に和解、という経た佐々木恭介元監督(コーチ)との関係は不思議。裏切られ度は一応3。逆指名制度もあり、少し時間をかけたが妥当な入団。変な揉め方やダーティーなイメージもつくらずに済んだ。トラブル度は3。
その他ドラフトでサプライズを提供した選手と関係者
★最多指名
野茂英雄(1989年/近鉄1位)
新日鐵堺を都市対抗に導き、88年のソウル五輪などで活躍した野茂は89年のドラフトで過去最多の8球団から指名を受ける。指名しなかったのは西武(潮崎哲也)、中日(与田剛)、広島(佐々岡真司)、巨人(大森剛)。※( )内は指名選手
小池秀郎(1990年/ロッテ1位)
東都大学リーグ・亜細亜大のエースとして28勝。大学選手権制覇にも貢献した小池は、4年秋のドラフトで前年の野茂に並ぶ8球団から指名。指名しなかったのは巨人(元木大介)、ダイエー(木村恵二)、大洋(水尾嘉孝)、オリックス(長谷川滋利)。※( )内は指名選手
★隠し球の指名
飯島秀雄(1968年/ロッテ9位)
東京五輪陸上短距離の代表で100mの日本記録保持者の経験もある飯島は、代走専門に使われ3年間在籍した。その後も、槍投げで国体に出場した日月哲史(91年/西武8位)、大相撲経験者の市場孝之(91年/ロッテ7位)などの異色経歴の選手が登場している。
辻本賢人(2004年/阪神8巡目)
アメリカの9年制の学校を卒業したての15歳の指名が話題に。史上最年少での指名だったが、ボーイズリーグ時代はダルビッシュ有と投げ合ったこともある投手で、その名は知られていた。
大嶋匠(2011年/日本ハム7位)
久々の異色経歴となる大学ソフトボール界からの指名。中・高・大と硬式野球の経験がないことで話題に。同年1位で菅野智之の強行指名を行った日本ハムの、この日2つめのサプライズだった。キャンプでホームランを打つなど、ボールを遠くに飛ばすセンスでは非凡なものを見せている。
★スカウト活動や会議当日の関係者のトラブル
新垣渚(1998年/オリックス1位)
故・三輪田勝利オリックス編成部長
98年、交渉権を得たオリックスに対し「ダイエー以外なら九州共立大へ進む」と言って拒否の姿勢を貫いた新垣。三輪田編成部長は自宅に挨拶に行くも交渉にならず。さらなる交渉を求める球団との間で板挟みになり、投身自殺を図る悲劇が発生。新垣は大学へ進み、4年後にダイエーの自由獲得枠で入団した。
陽仲壽(岱鋼/2005年/日本ハム1巡目)
辻内崇伸(2005年/巨人1巡目)
共に重複指名され抽選となった2選手だが、くじに押されたNPBの朱印を当たりくじと勘違いしたソフトバンクの王貞治監督、オリックスの中村勝広GMがそれぞれ大喜びで手を挙げ、一度そのまま結果として発表されるミスが発生。正しくは、陽は日本ハム、辻内は巨人が本当の当たりである「交渉権確定」の朱印の押されたくじを引いていた。陽はソフトバンクを熱烈志望しており第一報に喜んだが、その後翻され涙。
新沼慎二(1997年/横浜2巡目)
横浜、日本ハム、ヤクルトが競合。2位指名での抽選は、成績上位チームであるヤクルトからくじを引くルールだったが、手違いで日本ハム、横浜、ヤクルトの順番になった。二番目に引いた横浜に当たったため、当たりのないくじを引くことになったヤクルトが猛抗議したが、結果は覆らず。新沼は今年引退。
★印象深いコメントや出来事
「島と星が違う」星野仙一(1968年/中日1位)
星野は巨人入りを熱望しており「田淵が獲れなければきみを指名する」と、巨人サイドから言われていた。しかし田淵を阪神に指名された巨人は、星野ではなく島野修を指名。星野は「島と星が違う」とコメント。すぐ後に中日に指名された星野は巨人キラーとなった。
「セイはセックスの性」パンチョ伊東(伊東一雄/パ・リーグ広報部長)と益山性旭(1972年/大洋4位)
ドラフト会議の司会を1965年から91年まで26年間務め、選手名の読み上げ役として知られるようになり、その読み上げ方まで物真似されるようになった。72年、福島商業の投手・益山性旭(ますやま・せいきょく)の名前を紹介する際「益山性旭、セイはセックスの性」と読み、会場を驚かせた。英語に強いパンチョ氏は「セックス=性別」の意味で使ったが、日本ではそうは受け取られなかった。なお、益山はこの指名を拒否し帝京大に進学。4年後、今度は阪神の指名を受けて入団し、7年間で11勝を挙げている。
「黄金の左手」相馬和夫(ヤクルト球団代表・球団社長)
1982年の荒木大輔、1983年の高野光、池山隆寛、1984年の広沢克己、1985年の伊東昭光、1987年の長嶋一茂、1992年の伊藤智仁の指名時に発生した競合抽選に勝利し、交渉権をもたらした。くじは左手で引いていたので「黄金の左手」と称され、これを模倣してくじを引く関係者も現れた。
「「球界の寝業師」根本陸夫(西武編成・管理部長、ダイエー専務・球団社長)
現役選手、広島、クラウン、西武で監督を務めた後、80年代〜90年代にかけて西武とダイエーで編成に携わる。その主戦場であるドラフトで、数々の秘策(転校、球団職員、囲い込み)を見せ有力選手の獲得に成功した。
「ヤクルトに入れないんですか?」マック鈴木(鈴木誠)(2002年/オリックス2巡目)
高校中退しアメリカに留学、そこからチャンスをつかみメジャーでの登板機会をつかんだ鈴木。アメリカを離れ、日本でのプレーを目指したこの年、話し合いのついていたヤクルトが指名すると思いきやオリックスが指名。状況を理解できずに「ヤクルトに入れないんですか?」とコメント。
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選手は自分の人生を、背に腹はかえられないチームは必要な戦力を懸けて、エゴがむき出しになるドラフト。だからこそ起こる悲喜劇が、1年間でたった1日の出来事を、印象深いものにしているのでしょう。今年のドラフトでは、どんなサプライズが待っているのでしょうか?
文=秋山健太郎(スポーツライター)
イラスト=アカハナドラゴン
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