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ドラフト指名を蹴った高校球児!かつてはこんなショッキングな事件も

「高校野球100年」の節目を終えた夏の甲子園大会。3年生の夏も終わり、これから一気に、秋のドラフト戦線が活発になる。甲子園で活躍をアピールした選手はもちろん、現在開催中のU-18ワールドカップで登板する高橋純平などの不出場組を含めて、球児たちの進路には俄然、注目が集まり始めている。


高橋のように、高校生ながらプロ入りが確実視されている球児たち。プロ入りは球児たちにとって夢であり、そのために厳しい練習に耐えてきた……という選手も多い。しかしながら、過去には実際にドラフト指名を受けながら、その夢を蹴った高校球児たちもいるのだ。

暗い影を落とした入団拒否


高校球児の入団拒否が、思わぬ事件に発展したのが、1998年のドラフトだ。現在はヤクルトで活躍する新垣渚は、沖縄水産高では速球派右腕として注目を集めており、地元・九州を本拠地にするダイエー(現ソフトバンク)入りを熱望していた。ドラフトでは、そのダイエーとオリックスが1位入札を敢行。なんと、引き当てたのはオリックスだった。ところが新垣は、指名を受けたオリックスへの入団を徹底拒否。スカウト部長が自殺を図るという、ショッキングな事件が起きてしまった。

またオリックスでは、2000年に指名した内海哲也も入団を拒否。当時は敦賀気比高に在籍していた内海は巨人入りを熱望しており、オリックスは意中の球団ではなかったのだ。

意中のチーム以外からの指名


新垣や内海と同様に、高校生が入団拒否する理由は、「希望球団以外からの指名を受けたから」に尽きる。未成年でもある彼らにとって、プロ入りよりも自分の好きな球団に入ることができるかどうかは、重要な問題なのだろう。

有名なのが「巨人愛」を貫いた元木大介だ。1989年のドラフトでダイエーから1位指名を受けながら、入団を断固拒否。ハワイへの1年間の野球留学を経て、念願の巨人入りを果たした。

1995年、PL学園に在籍していた福留孝介は、高校生最多の7球団からの1位指名を受けた。しかし、意中の中日ではなく近鉄がクジを引き当てたことで入団を拒否。社会人野球の日本生命を経て、後に中日を逆指名して入団を果たした。

一流選手ほど、プロ入りを受け入れている


前述した選手たちは、プロ入り後も実績を残している。しかし、過去のドラフトを振り返ってみると、実際に高校からプロ入りを拒否した選手で、それほど大成した選手は少ないのが実情だ。

巨人に拘りながら西武に入団した清原和博や、阪神を意中の球団としながら、潔く巨人入りを果たした松井秀喜。さらには横浜(現DeNA)と、相思相愛で入団を希望していた松坂大輔は、西武の誠意を受け取ってプロ入りした。近年では、メジャー入りを熱望しながら、日本ハムに入団した大谷翔平の例もあるだろう。一流とよばれる選手ほど、高校からプロの誘いを受けた時にはそれを受け入れている。

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