今シーズンのプロ野球で本盗らしい本盗を決めているのは梶谷隆幸(DeNA)だ。
5月5日のヤクルト戦、1-0の初回1死一、三塁の場面から果敢に本盗を狙った。この直前には三盗を決めており、三盗→本盗のパターンは宗接と同じだ。
走機は石川雅規の牽制。石川の一塁への緩い牽制の隙を突いて、ホームに激走した。一旦はアウトが宣告されたものの、ラミレス監督の抗議でビデオ判定に。コリジョンルールの適応か、手が早かったのか球審の説明はなかったが、判定は「セーフ」。自身初の本盗を決めた。
暴走になりかねない勇気あるプレーだが、梶谷は「根拠があった」と断言。ヤクルトは前進守備の構えを見せており、二塁はガラ空き。一塁ランナーにロペスにとってはリードを大きく取りやすい状況になったことから、「一度牽制を挟むだろう」と梶谷は推測したのだ。
そして、投手の石川雅規は牽制のモーションが緩く、一塁手は本職ではない田中浩康。お膳立てが整い、さらにはコリジョン狙いで捕手のヒザ目掛けて突っ込んだ。
ひとつのプレーでここまで考えているのか。そう唸らせるホームスチールだった。
今シーズンから導入されたコリジョンルールによって、捕手も本盗には頭を悩ませそうだ。
しかし、2004年のオールスターにその答えは隠されていた。同年のオールスターといえば、新庄剛志が伝説のホームスチールを決めたことで知られている。
3回二死三塁の場面で、捕手・矢野燿大が福原忍にボールを返球したスキにホームに突っ込んだ。
福原も急いで矢野にボールを戻したが、判定は間一髪のところで「セーフ」。しかし、矢野が審判に抗議しており、巷では「アウトだった」「オールスター判定」と囁かれている。
本稿執筆にあたり動画を見直したところ、確かにタイミングは際どい。しかし、それよりも矢野のタッチに目がいった。ホームベース左側(右バッターボックス)で構え、滑り込んでくる新庄の手を待って優しくタッチ。
コリジョンルール問題の渦中、判定の是非よりも矢野の冷静なタッチを再評価したい。
イロモノとして見られがちなホームスチールだが、プロ野球の長い歴史の中には名手もいた。1950〜60年代に巨人・中日でプレーしたウォーリー与那嶺だ。
引退後には中日で監督を務め、巨人のV10を阻止するなど指導者としても輝かしい実績を持つ。ハワイ移民2世の与那嶺はアメフト選手としてもサンフランシスコ・フォーティナイナーズに入団を果たしており、機動力と破壊力抜群の韋駄天だった。
特にその卓越した走塁理論は日本野球に革新をもたらしたと評価されている。アメフト仕込みの激しいスライディングやタックル、ベースの蹴り方など走塁動作のひとつひとつに意図があることを日本野球に浸透させた人物だ。
その与那嶺の通算ホームスチール数は11。歴代1位の記録で特に1951年の来日年は5個の本盗を記録。7月の国鉄スワローズ戦では二盗→三盗→本盗の“サイクル盗塁”を記録し、同じ試合でさらに本盗を1つ決めたこともある。
「日本よ、これがアメリカの野球だ」
そう言わんばかりに走りまくった与那嶺の“ホームスチール”は日本野球進化の幕開けだった。
文=落合初春(おちあい・もとはる)