4月17日は阪神タイガースにとってはもちろん、プロ野球界においても「伝説の日」と呼ぶべき日だ。なぜなら、30年前の1985年4月17日は、バース・掛布・岡田による「バックスクリーン3連発」が生まれた日からだ。
そこで、先週4/17の阪神vs巨人は「レジェンズデー」と銘打たれ、3連発を放ったランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布の3人が甲子園で顔を合わせるセレモニーが試合前に開催され、当時を振り返る記念映像を放映、さらに来場者全員に記念ピンズがプレゼントされた。
あの伝説から30年、という節目を記念して、改めて「バックスクリーン3連発」が生まれた背景を振り返ってみよう。
阪神タイガースは2015年の今年、球団創設80周年ということでさまざまな記念イベントを行っている。ということは、30年前の1985年は「球団創設50周年」という、これ以上ないメモリアルな年でもあったのだ。
もっとも、当時の阪神は21年も優勝から遠ざかり、ある意味では「負け癖」が付いている状態だった。その深い眠りからファンはもちろんこと、選手自身も覚醒させ、「今年こそやれる!」と自信を持たせる効果がこの3連発にはあったのだ。
また、この3連発がファンの間で語り種になる理由の1つに、ラッキーセブンに生まれた逆転弾だったから、というのも大きい。阪神ファンが今も「ラッキーセブン」で興奮するのは、あの日の歓喜が忘れられないから、という要因もあるはずだ。
覚醒した、という意味では、当事者である3番・バース、4番・掛布、5番・岡田の3人もまた凄まじかった。この日以降、成績が上向いた3人は、最終的にバースが打率.350、54本塁打、134打点で三冠王を達成。掛布も打率.300、40本塁打、108打点。そして岡田も、打率.342、35本塁打、101打点と、3人揃って3割30本100打点オーバーというとんでもない数字を残すことになった。
特にバースは、この試合まで打率が1割台。その前年限りで契約を解除にしようという動きもあっただけに、ファンからのヤジも厳しいものがあった。ところが、このバックスクリーン弾をキッカケに鬼神のごとく打ちまくり、「神様・仏様・バース様」「史上最強の助っ人」といった称号を得ることにつながった。
覚醒したのは、阪神打線だけではない。打たれた側にも目を向けると、マウンドに立っていたのは巨人の槙原寛己。1983年に新人王も受賞した、当時巨人イチオシの若手右腕で、この日も勝利目前だった。ところが、バース・掛布・岡田に投じた、たった6球で失意のどん底に落とされてしまう。バックスクリーンを見つめながらマウンド上でうなだれる槙原、という映像を見たことがある人は多いだろう。
後年、インタビューで「僕にとってもいい思い出。入団4年目。プロの世界は甘くない、というのを痛感しました」と語った槙原。この発言は、決して負け惜しみでなく、この苦い経験が槙原を成長させた。槙原が巨人のエースとして安定した成績を収めるのは、この翌年からのこと。阪神戦の相性もよく、通算38勝10敗、勝率.792と安定した成績を残した。阪神にとっては憎っくきエースを覚醒させてしまった、といえるかもしれない。
また、この試合をスタンドで観戦していたのが、近鉄などで活躍した中村紀洋。当時小学6年生だった中村はバックスクリーン3連発を生観戦したことで「ホームラン」に大きな憧れを抱くようになる。チームの4番打者として府立高校(渋谷高)ながらチームを甲子園に導くのは、それから数年後のことだ。
このように、多くの野球人に影響を与えた「伝説のバックスクリーン3連発」。今年の阪神vs巨人でもまた、伝説のプレーが生まれることを期待したい。