2007年に「このシーズン限り」という条件で抑えに転向し、32セーブをマークする活躍を見せた上原浩治(当時巨人)。
翌2008年はFA権を行使してのメジャーリーグ移籍を公言した上で先発に戻ったが、開幕から5試合続けて勝ち星がなく0勝4敗、防御率6.75とピリッとしない。そして、4月27日に登録を抹消された。
これは故障ではなく、不調による調整のための抹消。上原にとってプロ入り後、初めてのことだった。
2008年は、FA権を行使する上でも好成績を残すことが必須だった。加えて、8月には北京五輪を控えており、星野仙一日本代表監督は上原の力を欲していた。
上原は2カ月後の6月29日に1軍復帰。中継ぎとして調整を続け、五輪に出場した。日本はメダル獲得とはならなかったものの、2試合に登板し、中継ぎで防御率0.00とチームに貢献。その後、チームに戻り先発へ復帰。シーズン終了までの約1カ月で4勝を挙げ、復調。オフのメジャー移籍へ向けて弾みをつけた。
2009年には念願かなってオリオールズへ移籍。2013年にはカブスのクローザーとしてワールドシリーズ制覇にも貢献した。
渡米以来、9年目のシーズンを迎える大ベテランとなった上原だが、スランプを乗り越えてのメジャーリーグ挑戦だったのだ。
第4回大会の2017WBC。日本は準決勝でアメリカに敗戦し、2大会連続のベスト4に終わった。最後に日本が世界一になったのは、今から8年前、第2回の2009WBCまでさかのぼる。この大会の決勝・韓国戦では、イチロー(当時マリナーズ)が決勝タイムリーを放ち、優勝を手繰り寄せた。
WBCを終えたイチローはマリナーズへ合流したが、激闘の疲れからかオープン戦でめまいを訴え、途中交代。その後、数試合の欠場を経て医師の診察を受けた結果「胃の潰瘍性出血」との診断が下された。そして、メジャー移籍後初の故障者リスト入りとなった。
開幕戦のオーダーにイチローの名前がないのは、日本でのルーキーイヤーとなる1992年以来17年ぶりの出来事。日本が誇る最高の安打製造機・イチローでも体調不良による開幕直前のアクシデントに見舞われたことがあったのだ。それだけ、WBCでの戦いが厳しいものだったのかがうかがい知れる。
しかし、開幕9試合目にイチローは復帰。本塁打を含むマルチ安打で好スタートを切った。以降は、欠場した8試合分の出遅れを取り戻すかのようにヒットを積み重ね、打率.352(639打数225安打)と終わってみればいつもどおりの「すごいイチロー」だった。
今回のWBCで唯一メジャーリーガーとして参加した青木宣親(アストロズ)。ヤクルト時代の2006年と2009年にもWBCに出場したが、2009年の大会後にはイチロー同様に、開幕直後のスランプに陥っている。
2009WBCでは大会ベストナインに選ばれるほどの活躍を見せた青木だったが、開幕直後はさっぱり。新聞やテレビの取材に対し「何が不調の原因かがわからない」と答えるほど深刻な状況だった。3割を超える日は待てども待てども来ず。ようやく3割に到達したのは9月30日のことだった。
最終的には打率.303でシーズンを終えているが、2005年にレギュラーとなって以降、キャリア最低の打率となった。それでも、不調のなかで打率を3割に乗せ、最高出塁率も獲得したのは流石だった。
このように日本を代表するメジャーリーガーも春先は調子を落とすアクシデントやスランプに見舞われることがある。それでも状態を戻し、シーズン終了時には結果を残すあたりは、流石、一流選手というしかない。
スランプから脱出し、最終的には普段通りの活躍を見せる。そんな強さがなければ、メジャーリーガーになれないのかもしれない。
文=勝田 聡(かつたさとし)