高校球児コース別プロ入り物語 王道を歩みながらも対照的な王者・ソフトバンクの2選手に注目!
「甲子園活躍型」と「地方大会活躍型」に分けて、王道を進んでプロ入りした選手を紹介していく6月の特集。
前回は、「甲子園活躍型」の代表格として阪神の藤浪晋太郎を、「地方大会活躍型」としてソフトバンクの武田翔太と中日の若松駿太を紹介した。
第2回となる今回は、王者・ソフトバンクの選手を取りあげる。
九州が生んだ“二刀流”ヒーロー
ソフトバンクの「甲子園活躍型」選手は、遊撃手として活躍し、侍ジャパンにも選出された今宮健太だ。
球団の大先輩である城島健司を輩出した明豊高で、1年時から遊撃手と投手を兼任し、明豊高を初のセンバツ出場に導くなど大活躍。身長171センチと上背はないものの、高校通算62本塁打を放ち、ストレートはMAX154キロを記録するなど、抜群の野球センスで高校野球界にその名を轟かせていた。
この金の卵を地元球団が見過ごすはずもなく、2009年のドラフトでソフトバンクが1位指名。2012年に、川崎宗則のメジャーリーグ挑戦で空いた遊撃手のポジションを奪い取ると、期待通りにチームの顔にまで成長した。
そして持ち前の身体能力で超絶守備を披露する一方で、犠打のパ・リーグ記録を打ち立てるなど、イメージと異なる面も見せてファンを沸かせている。
どこまでも貪欲なヒットメーカー
「地方大会活躍型」選手としては、内川聖一を挙げたい。今や日本を代表する選手になった内川だが、大分工高時代は3年時夏の大分大会の準優勝が最高だった。
高校時代の内川はというと、高校通算43本塁打を放ち「打撃の天才」の片鱗を見せた一方で、骨の内部に空洞ができる「骨嚢腫」という病を患い、3度もの手術を経験。そのため、一時は進学も考えていたという。
しかしミレニアムイヤー・2000年のドラフトで、横浜が1位指名。契約内容に骨嚢腫の治療について盛り込まれていたことが、入団を後押しした。
このプロ入りという決断が吉と出た! とはすぐにはならなかったが、毎年コンスタントに打率を残していたところ、プロ入り8年目の2008年に突如爆発。日本人選手のセ・リーグ記録を更新する打率.378をマークし、首位打者にも輝いた。
すると状況が一変し、2009年には日本代表としてWBCに出場。打撃はもちろん、守備でもチームを救うプレーを披露し、連覇に大きく貢献した。オフには女子アナウンサーの長野翼と結婚するなど、順風満帆を絵に描いたようなプロ野球人生となった。
そして最大の転機は、2010年のオフに決断したFAでのソフトバンク移籍。これにより、高校時代に果たせなかった日本一を達成。世界一の方を先に成し遂げてしまったが、請われて入団した「地元」チームでの優勝は、格別なものだっただろう。
今年で34歳。ベテランという年齢に差し掛かってきたが、今季からは4番を任されるなど、核としての働きを期待されている内川。ここまでしっかりと3割をキープしていることからも、高校時代の無念は、未だ晴らしきれていないようだ。
甲子園未出場組には反骨心が?
ともに王道を歩むものとはいえ、比べてしまうと甲子園に出場している分、高校時代の実績は後輩・今宮の方が上。しかしプロでの実績は、先輩・内川の方が数段上をいく。
求められているものが違うので、一概に比べるのはナンセンスである。しかし内川の部分でも触れたように、甲子園に出場できずにドラフト上位で指名された選手には、ある種の反骨心のようなものがあるのかもしれない。
「甲子園活躍型」選手が持っている生来の勝ち運と、「地方大会活躍型」選手の反骨心。これらが噛み合わさったチームこそ、最強になれる。思えば黄金時代の西武もそうだった。ソフトバンクがここまで強いのも、今ならうなづける。
次回は同じ高校出身の「甲子園活躍型」選手と「地方大会活躍型」選手の経歴を紹介していく。
文=森田真悟(もりた・しんご)
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