そんな中、桑田真澄(元巨人ほか)と清原和博(元西武ほか)のいわゆる「KKコンビ」が投打の主力として活躍した時代(1983〜1985年)のPL学園は、一度出るのも大変な甲子園出場を、5季連続で達成し、驚異の戦歴を残した。その軌跡は以下の通り(カッコ内の校名は対戦相手)。
【1年夏=1983年】
1回戦 〇(6対2/所沢商)
2回戦 〇(7対0/中津工)
3回戦 〇(6対2/東海大一)
準々決勝 〇(10対9/高知商)
準決勝 〇(7対0/池田)
決勝 〇(3対0/横浜商)
【2年春=1984年】
1回戦〇(18対7/砂川北)
2回戦〇(10対1/京都西)
準々決勝〇(6対0/拓大紅陵)
準決勝〇(1対0/都城)
決勝●(0対1/岩倉)
【2年夏=1984年】
1回戦〇(14対1/享栄)
2回戦〇(9対1/明石)
3回戦〇(9対1/都城)
準々決勝〇(2対1/松山商)
準決勝〇(3対2/金足農)
決勝●(4対8/取手二)
【3年春=1985年】
1回戦〇(11対1/浜松商)
2回戦〇(6対2/宇部商)
準々決勝〇(7対0/天理)
準決勝●(1対3/伊野商)
【3年夏=1985年】
2回戦〇(29対7/東海大山形)
3回戦〇(3対0/津久見)
準々決勝〇(6対3/高知商)
準決勝〇(15対2/甲西)
決勝〇(4対3/宇部商)
KKコンビ時代のPL学園は5回出場して4回決勝に進出し2回優勝、残る1回も準決勝までは勝ち上がっている。負ければ終わりのトーナメント制の甲子園において、これはもう空前絶後の偉業と言っていいだろう。
ただ、2回の優勝はいずれも夏で、春はとうとう頂点に立てなかった。
この2度のセンバツには共通項がある。それは、どちらも決して前評判が高いわけではなかった相手にロースコアで惜敗している点だ。
KKコンビが2年の春(1984年)は、決勝で対戦した岩倉の山口重幸(元阪神ほか)に1安打に抑え込まれ、0対1で惜敗している。PL学園は、準決勝・都城戦も、延長11回に相手のエラーによる1対0のサヨナラ勝ちという厳しい試合だった。大会終盤に入ってチーム状態は下降気味だったのかもしれない。
3年の春(1985年)は、準決勝で伊野商(高知)の渡辺智男(元西武ほか)から6安打を放つも1点しか奪えず1対3で惜敗している。渡辺はのちに西武でチームメイトとなる清原を、快速球で3三振と完璧に封じた。
ちなみに、岩倉、伊野商ともに、上記のセンバツが春夏を通じて初の甲子園で、その後の出場はどちらも1度だけ(いずれも初戦敗退)。だからこそ余計に「KK時代のPL学園撃破」というジャイアントキリングが輝く。
大阪で開催される大相撲の三月場所は、「荒れる春場所」とされる。競馬の三冠レースでも、4月の頭に行われる皐月賞のほうが、5月末のダービーや10月の菊花賞に比べて波乱が多い。
3月19日から行われている今年のセンバツも、名門校、強豪校が多く出場しているが、果たして番狂わせは起きるか? そして、KKコンビのような歴史に名を残す選手は現われるのか!? 最後まで目が離せない。
文=藤山剣(ふじやま・けん)