◆5月24日:ヤクルト 5対7 阪神
5月24日の阪神戦は、のちにオリックスへとトレードされる八木亮祐が初回に振り逃げを含む4奪三振と、珍記録で幕を開けた。ヤクルトは序盤から劣勢に立たされるも、8回裏に4対5と1点差に迫る。
追い上げたのも束の間、ヤクルトは9回表に2点を追加され4対7の3点差で最後の攻撃を迎えた。
粘るヤクルトは1点を返し、なおも2死一、二塁。このチャンスでバッターは4番のバレンティン。阪神のクローザー・マテオの投球を一振り! バレンティンがホームランを確信したかのようにバットを投げる。観客は総立ち。しかし、打球の伸びが足りずライトフェンス間際で失速。無念のゲームセットとなった。
今年の神宮球場で一番熱かったのは、この瞬間かもしれない。
◎「161キロ?11番=1771日ぶり」の由規復帰登板と2人の初陣
◆7月9日:ヤクルト 2対8 中日
神宮球場のマウンドにあの男が帰ってきた。かつて161キロを記録したヤクルトの「背番号11」由規だ。
この日は昨季、館山昌平が復帰したときと同じように由規の復帰登板が事前に告知されており、27,871人の観客が由規見たさに集まった。
この日の最速は149キロ。由規はかつてのように150キロをマークすることはできなかった。コントロールも定まらない。
中日打線に毎回のようにヒットを打たれる。それでも由規は懸命に投げる。その姿に心を打たれた観客も多かったのではないだろうか。
由規は5回0/3を投げ6失点(自責5)で負け投手に。復帰登板で勝てるほどプロは甘くはない。昨年の館山もそうだった。筆者はそう自分に言い聞かせた。
実はこの試合でデビューした2人の男がいた。ひとりは由規と同じく育成選手として汗を流した中島彰吾。
点差が開いていたこともあり8回に中島彰吾はブルペン入り。9回から投げる予定に見えたが、ペレスの乱調もあり8回途中からマウンドに登る。
中島がブルペンから駆け足でマウンドに向かうとき、ライトスタンドからは少なからず拍手が起こった。デビュー戦と気づいた観客が拍手をしたのだ。筆者もそのひとりだった。
そして、9回にはFA移籍した相川亮二の人的補償で巨人からやってきた奥村展征が代打でデビュー。奥村の名前がコールされたときも同様に拍手が起こる。
由規の復帰戦にかき消されてしまったが、中島、奥村のデビュー戦だったことも心に留めておきたい。
◎観客騒然! 神宮・比屋根劇場
◆8月7日:ヤクルト 7x対6 阪神
6月26日、神宮球場のレフトの守備位置で比屋根渉はやらかしていた。俗に言う“オンドルセクぶちギレ事件”だ。試合には勝ったものの、比屋根の後逸に激昂し、ベンチで悪態をついて暴れたオンドルセクは無期謹慎に。結局、退団・帰国となった。
そして8月7日だ。
比屋根はレフトではなくライトで落球した。この落球で阪神にリードを許し、ヤクルトは劣勢に立たされてしまう。
しかし、この日の比屋根は違った。
あの日の比屋根ではなく“New比屋根”になっていた。
途中出場ながら3打数3安打。一時は勝ち越しとなるタイムリー二塁打を放ち、お立ち台確実の活躍を見せたのだ。
しかし9回、オンドルセクの代わりに守護神となっていた秋吉亮が同点に追いつかれてしまう。
比屋根のお立ち台はなくなったかに思えた。しかし“New比屋根”はやってくれた。延長10回にしっかりとサヨナラタイムリーを放ったのだ。
この日、比屋根は途中出場ながら4打数4安打1失策。さながら神宮球場は“比屋根劇場”と化した。殊勲の比屋根はお立ち台でこう言った。
「自分のミスでこんなに(試合終了時間が)遅くなってすみません」
「ホントだよ!」という突っ込みとともに笑いが沸き起こったのは言うまでもない。
この日は比屋根の出身地である沖縄の旅行会社、沖縄ツーリストのイベントデーでもあったことを付け加えておく。
1年間、球場に足を運び続ければ勝ち負け以外にも多くのできごとに触れることができる。球場に行くからには、多くのこと目に焼きつけを心に留めておきたいものだ。
文=勝田 聡(かつた さとし)