2リーグ制となった1950年以降、「優勝→最下位」という軌跡をたどった球団は以下。
■ヤクルト
1978年:優勝/1979年:最下位
1977年、広岡達朗監督就任で球団初の2位となったヤクルトは、1978年の春季キャンプをアメリカ・ユマで敢行。その効果か、130試合制で「129試合目まで無得点なし」(日本記録)という好調な打線に牽引され初優勝。
ところが、1979年は外国人選手の補強に失敗し開幕から低迷。またフロントと首脳陣のあつれきも発覚、チームは空中分解して最下位に沈んだ。
■日本ハム
2012年:優勝/2013年:最下位
2011年に18勝を挙げたダルビッシュ有がレンジャーズへ移籍したにもかかわらず、2012年に日本ハムは優勝。しかし、そのオフには田中賢介(現・日本ハム)もメジャーへ。糸井嘉男(現・阪神)と八木智哉(現・中日)もトレードでチームを去った。さすがに戦力ダウンは避けられず2013年は最下位に。
■楽天
2013年:優勝/2014年:最下位
2013年は絶対的なエース・田中将大が24勝0敗という驚異の成績で優勝に大貢献。しかし、その田中がポスティングでヤンキースに移籍した後の2014年は、最下位に沈んだ。
逆に、前年の最下位から一気に頂点に立った球団は、同じく1950年以降で2例ある。
■巨人
1975年:最下位/1976年:優勝
1974年限りで現役を引退し、そのまま監督に就任した長嶋茂雄。大きな話題となったが、1975年は開幕ダッシュに失敗し、まさかの球団史上初となる最下位に。しかし、張本勲、加藤初らを補強し、首脳陣も刷新して臨んだ1976年は、見事優勝を果たした。
■ヤクルト
2014年:最下位/2015年:優勝
2013年、2014年と2年連続で最下位に低迷していたヤクルトだったが、2015年は山田哲人がトリプルスリー、川端慎吾が最多安打と首位打者、畠山和洋が打点王と打線が覚醒。
また、最多セーブのタイトルを獲得したバーネットが、シーズンの最後までしっかりしていたのも大きかった。ヤクルト生え抜きの真中満監督は就任1年目での胴上げ。
そして、急降下&急上昇をセットで実現した唯一のケースが1959から1961年にかけての大洋(現DeNA)だ。
■大洋
1959年:最下位/1960年:優勝/1961年:最下位
1959年まで6年連続で最下位と低迷していた大洋だったが、1960年には魔術師とも称された三原脩監督を招聘。
三原監督はトレードなどで戦力を整え、同時に現有選手の配置転換も積極的に行い、チーム内の活性化に成功。巧みな采配で、特に僅差の試合で勝負強さを発揮。球団初のリーグ優勝を成し遂げた。
しかし、その反動からか1961年は最下位に転落……。3年間で「最下位→優勝→最下位」というジェットコースター的な乱高下となった。
2016年の優勝チームはセ・リーグが広島、パ・リーグが日本ハム。おそらく今季の順位予想でも上位に挙げる解説者が多いだろう。しかし、油断すれば最下位となってしまうこともある。
逆に、最下位だった中日、オリックスにも、もちろん優勝の可能性があるということだ。
2017年のペナントレースはどうなるのか? 開幕はセ・パとも3月31日だ!
文=藤山剣(ふじやま・けん)