1997年夏の甲子園。横浜高(神奈川)の松坂大輔(現ソフトバンク)が春夏連覇を達成する前年にあたるこの大会で、大会屈指の好左腕対決が行われた。それは1回戦で組まれた浜田高(島根)対秋田商高(秋田)の一戦だ。
浜田高は2年生ながらエースナンバー「1」を背負った和田毅(現ソフトバンク)が先発。一方、秋田商高は小兵のエース・石川雅規(現ヤクルト)がマウンドに登った。
試合は両投手の好投で締まった試合となり、9回表終了時点で3対1と浜田高がリード。しかし、9回裏にドラマは待っていた。
秋田商高は連打で無死一、二塁のチャンスを作ると手堅く犠打。すると、和田の悪送球で2人の走者がホームへ還り、浜田高が思わぬ形で同点に追いつかれる。その後、浜田高は2者連続敬遠で満塁策をとり、守りやすい形を作った。ここで、打席には石川。和田は1球もストライクを投げることができず、石川に押し出し四球を与えてしまう。秋田商高が4対3でサヨナラ勝ちを収めた。
この大会から20年が経った2017年も2人はプロ野球の第一線で戦っている。すでにベテランの域に達しているが、まだまだ健在ぶりを見せてほしい。
長い甲子園の歴史において、決勝戦に辿りついたことがない山形の代表校。夏の甲子園においては準決勝進出ですら、2013年夏の日大山形高が初めてのことだった。
この大会で日大山形高の4番を務めていたのが奥村展征(現ヤクルト)。奥村は4番、主将、遊撃手としてチームを牽引。山形県勢初の準決勝進出を果たし、決勝へ向けて万全の状態だった。しかし、そこに立ちふさがったのが、前橋育英高(群馬)の2年生エース・高橋光成(現西武)だった。
高橋は準々決勝までの4試合で32回を投げ、自責点ゼロと圧巻の投球を見せていた。日大山形高との準決勝でも1失点、自責点ゼロで完投勝利を決め、前橋育英高の「初出場初優勝」への足がかりを築いた。同時に、日大山形高、そして山形県勢の悲願を打ち砕いたのだ。
この試合での奥村と高橋の対決に目を向けると、3打数1安打、1三振、1四球。明確な決着はついていない。プロの世界で2人の対戦はまだなく、交流戦などでの再戦を期待したい。
2010年夏の甲子園の2回戦。広陵高(広島)と聖光学院(福島)の一戦は、後にプロ入りを果たす両右腕の投手戦となった。投げ合いを演じたのは、広陵高・有原航平(現日本ハム)、聖光学院高・歳内宏明(現阪神)だ。
両チームとも無得点で迎えた7回裏。聖光学院高は2安打で2死二、三塁のチャンスを作る。有原は次打者の星祐太郎を空振り三振に切って取ったかに見えたが、これが暴投振り逃げとなり、三塁走者が生還。この1点が決勝点となった。
有原は評判通り、8回1失点、被安打4、6奪三振、無四球と圧倒的な投球を見せたものの、自身の暴投に泣いた。一方、歳内は9回を6奪三振で完封。被安打5、与四死球4と走者を出したものの、粘りの投球で見事に投げ勝った。
早稲田大を経て日本ハムに入団した有原は新人王を獲得し、ローテーション投手に成長。高校卒業後に阪神に入団した歳内は中継ぎに転向したものの、現状伸び悩んでいる。2人の投手戦を再び見ることができるだろうか。
まだ、記憶に新しい昨夏の甲子園。「高校ビッグ3」と呼ばれた履正社高(大阪)の寺島成輝(現ヤクルト)と横浜高の藤平尚真(現楽天)が2回戦で激突した。雨が降るなかで始まった優勝候補同士によるこの一戦。履正社高は寺島を先発に立てたものの、横浜高は2番手の石川達也を先発のマウンドへ送った。
試合は、2度の中断を挟んだ2回に石川が履正社高打線につかまり5失点。2回途中から藤平が登板した。結局、この5点が響き横浜高は1対5で敗れたものの、藤平は6回1/3回を無失点に抑える好投を見せた。
一方、寺島は初回に1点を失ったものの、2回からはスコアボードにゼロを並べ、さすがの投球を見せている。
試合後にすがすがしい笑顔で握手をした2人は、卒業後のドラフト会議でそれぞれ1位指名を受けてプロ入りを果たす。リーグが違うため顔を合わせる機会は多くないが、近い将来、プロのマウンドで投げ合う2人の姿を見せてくれることだろう。
文=勝田聡(かつたさとし)