【この記事の読みどころ】
・「逆転のPL」の原点はこの試合にあった!
・猛打爆発! やまびこ打線・池田が躍進
・有終の美を飾ったKKコンビ
1978年(昭和53年)
――第60回大会決勝
高知商 |002|000|000|2
PL学園|000|000|003×|3
第60回大会から、全都道府県から1校ずつ(北海道と東京は2校ずつ)が出場することになった。参加校は全国3000校を超え、その頂点に立ったのがPL学園だ。
決勝戦では高知商が2点を先取。そのまま、試合は淡々と進み、高知商が2点リードで9回裏へ。PL学園は先頭打者が安打で出塁すると、四球、犠打、犠飛で1点を返す。さらに2死二塁から、西田真二が同点タイムリーを放ち、さらに柳川明弘が左中間を破って、西田がサヨナラ勝ちのホームを踏んだ。
準決勝では、0−4でリードを奪われていたPL学園。9回裏になんと4点を叩き出し、同点に追いついた。そして、延長12回、2死満塁から押し出し四球で勝利。決勝戦と合わせて2日連続で奇跡の逆転劇を演じたことから、「逆転のPL」と呼ばれるようになった。
1979年(昭和54年)
――第61回大会決勝
池田|100|110|000|3
箕島|100|001|02×|4
同年のセンバツで優勝した箕島は、夏も優勝候補の筆頭に挙げられていた。その重圧にも負けず、1966年の中京商以来の春夏連覇を成し遂げる。また、戦前には幾度も全国制覇をしてきた和歌山県に、1940年(第26回)以来、39年ぶり優勝旗をもたらした。
試合は“雨”がゲームの流れを変えた。8回、途中から降り出した雨の影響で、リードしていた池田の守備陣が乱れる。そこに乗じて、巧みなスクイズを仕掛けた箕島が逆転。その攻撃が終わった時、ちょうど雨雲は甲子園上空を去り、9回表は箕島のエース・石井毅が3人で抑えて試合終了。池田にとっては恨みの雨となった。
1980年(昭和55年)
――第62回大会決勝
早稲田実|100|210|000|4
横浜 |212|001|00×|6
初めて決勝に進んだ横浜と、55年ぶりに決勝進出した早稲田実業の神奈川・東京決戦となった。
試合は初回から点の取り合いに。1回表に早稲田実業が先制すると、その裏、横浜は1年生エース・荒木大輔を攻めて三塁打とボークで逆転。横浜は3回までに5点を奪い、試合を有利に進める。
早稲田実業の反撃も届かず。神奈川代表の優勝は、1971年(第53回)の桐蔭学園以来、9年ぶり5回目、東日本勢の全国制覇は4年ぶりだった。
1981年(昭和56年)
――第63回大会決勝
京都商 |000|000|000|0
報徳学園|000|000|11×|2
兵庫代表の報徳学園が7回目の甲子園で初の決勝戦進出、投手戦の末に京都商を破り、初優勝を果たした。近畿勢同士の決勝戦は10年ぶりだった。
報徳学園のエース・金村義明は9回をちょうど100球、うちボールはわずか25球と素晴らしい制球力をみせ、打っては大会通算で2本塁打、打率.545を残した。
一方、京都商のエース・井口和人も粘り強い投球をみせたが、わずかに力及ばず。下馬評では評価の低かった京都商の健闘も光った大会だった。
1982年(昭和57年)
――第64回大会決勝
池田 |600|015|000|12
広島商|001|001|000|2
この大会は、池田を抜きに語れないだろう。豪快な「やまびこ打線」が甲子園を席巻。13年ぶりに四国へ優勝旗をもたらし、阿波に日本一を届けた。
決勝戦の相手は広島商。池田は初回2死から二塁打2本を含む6安打で、一挙に6点を先取。6回には当時大会新となる7連続安打で5点を追加して計12得点。広島商を圧倒した。
池田は決勝まで6試合を戦って7本塁打、85安打、7連続安打、通算121塁打という新記録を樹立。3年前の決勝戦で箕島に敗れてから、蔦文也監督は重量打線を作り上げて、見事、リベンジを果たしたのだった。
前年優勝の池田はこの年のセンバツも制し、夏春連覇を達成。この大会も優勝候補に挙げられていた。しかし、その夢を破ったのが、当時1年生の桑田真澄と清原和博、「KKコンビ」を擁するPL学園だ。準決勝で池田と対戦したPL学園は、この試合で桑田が完封。打っては本塁打を放つ活躍で勝利し、決勝戦に駒を進めた。
決勝戦はエース・三浦将明を擁する横浜商と対戦。しかし、清原がその三浦から本塁打を放ち、その後も加点。桑田、藤本耕の投手リレーで完封勝ちを収め、PL学園は5年ぶり2度目の全国制覇を果たした。
1984年(昭和59年)
――第66回大会決勝
取手二 |200|000|200|4|8
PL学園|000|001|021|0|4
2年連続決勝戦へ進出して、連覇を狙うPL学園が断然有利という予想のなか、取手二が優勝を勝ち取る結果となった。
4回目出場の取手二は、木内幸男監督に率いられて「のびのび野球」を展開。吉田剛の本塁打などで、試合を有利に進めて7回まで4−1とリードを奪う。しかし「逆転のPL 」は、8回、9回で同点に追いつくなど実力を発揮。決勝では7年ぶりの延長戦にもつれ込んだ。
取手二は10回、中島彰一の本塁打などで4点を奪い、桑田をKO。激戦に終止符を打ったのだった。
1985年(昭和60年)
――第67回大会決勝
宇部商 |010|002|000|3
PL学園|000|111|001×|4
3年連続で決勝進出を果たしたPL学園が、3度目の栄冠に輝いた。最終学年の清原和博と桑田真澄が、全国制覇の原動力。清原は1大会5本の本塁打記録を樹立し、桑田は5試合に登板して、もちろん全勝。
決勝の相手、宇部商も好チームで、息詰まる熱戦となった。しかし9回裏、2死後からPL学園がサヨナラ勝ち。高校生離れした強豪校と、がっぷり四つに組んで好試合を演じた宇部商にも、忘れずに拍手を贈りたい。
★★★次回は第68回〜第75回大会の決勝戦の模様をお伝えします。
(文=編集部)