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《ホークス背番号列伝 〜南海・ダイエー・ソフトバンク〜》第1回「チームを引っ張る背番号1」


 南海時代から数え、2017年に80周年を迎えるホークス。大阪から福岡へと本拠地を移し、ダイエー、ソフトバンクと球団名を変えながら歴史を刻んできた。

 そんな球団の歴史を背番号で振り返っていくホークス背番号列伝。第1回は「背番号1」の系譜を辿ってみよう。

秋山幸二に2回背番号を譲った男


 南海の最後、ダイエーの最初に背番号1をつけたのは小川史。

 1978年に西武ライオンズ入団するも1軍出場はわずかに7試合で、1983年に南海へ移籍。当初の背番号は56だったが、113試合に出場した1985年オフに背番号1を背負うと、翌1986年にはショートのレギュラーとして128試合に出場。規定打席にも到達した。

 しかし、小川のキャリアハイは1986年となってしまう。以降は控えに甘んじ、出番が減少。そして、1994年から背番号は31に変更となる。

 その小川から背番号1を譲り受けたのが秋山幸二だ。1993年のシーズンオフ、「3対3」の大型トレードで西武からダイエーに移籍してきた秋山は、翌1994年シーズンオフにFA移籍した工藤公康とともに、万年Bクラスだったチームをけん引する。

 1999年にはダイエーの初代キャプテンに就任し、悲願の日本一へと導いた。

 余談だが、小川は西武時代にも秋山に背番号24を譲っている。西武、ダイエーでともにプレーしたふたりは2011年から3年間、秋山が1軍監督、小川が3軍監督して常勝・ソフトバンクの礎を築いた。

ダイエー生え抜きの背番号1


 秋山から背番号1を譲り受けたのは、2002年に秋山が現役引退を発表した日にお立ち台で「秋山さんのためにも今日は勝ちたかった」と涙を流した柴原洋。

 秋山の引退後、1年の空白を経て2004年から引退する2011年まで背番号1を背負った。引退年こそ1軍出場数はわずか11試合だったが、守備練習中にライトスタンドから起こるコールはほかの誰より多かった。いざ途中出場でライトの守備につくと、球場中から大きな声援が飛ぶほどの人気ぶりだった。

 そして、2012年からホークスの背番号1を背負っているのが内川聖一。2014年は日本シリーズMVP、2015年からはキャプテンで4番。ただいまホークス3連覇へ向けて邁進中である。

 高校野球ではエースナンバーの背番号1。ホークスでは選手会長だった小川、キャプテンの秋山、内川、そしてリードオブマンの柴原と、チームを引っ張る選手達が名を連ねている。


文=溝手孝司(みぞて・たかし)
札幌在住。広告代理業を営みながら、ライター、イベントなどスポーツ関連の仕事もこなす。生まれも育ちも北海道ながら、ホークスファン歴約40年。子どもの頃初めて生で見たプロ野球の背番号1番は王貞治。あの頃まさか世界の王さんがホークスの監督になって会長になるなんて思ってなかったなぁ。

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