2月1日、プロ野球12球団が一斉にキャンプイン。新聞、テレビなどを通じて届けられる、キャンプ地からの情報に、多くの野球ファンは「球春到来」を感じることだろう。
プロ野球選手にとって1年のスタートとなる春季キャンプ。過去に話題を呼んだ出来事を振り返ってみよう。
キャンプインを翌日に控えた1979年1月31日、巨人のエース・小林繁はキャンプ地の宮崎へ向かうため羽田空港に姿を現した。ところが、球団職員に呼び止められた小林は、江川卓との交換トレードのため、阪神移籍を通告される。
前年11月の「空白の一日」など一連の「江川事件」で、江川は渦中の人となっていた。ドラフト会議では阪神が交渉権を獲得するが、12月には金子鋭コミッショナーが「一度阪神と契約し、巨人へトレードしてほしい」という“強い要望”を発表。巨人側の交換相手として、様々な選手の名が挙がっていたなか、指名されたのは小林だったのだ。
東京都内のホテルで球団幹部から説得された小林は、悩みながらも最後はトレードを了承。31日深夜に交換トレードが成立した。日付が変わった2月1日、会見に現れた小林は「江川君の身代わりで行くのではない」「同情は買いたくない」と毅然とした態度でコメントした。
この年の小林は「打倒巨人」に燃えた。対巨人戦は8勝負け無し。シーズンを通して22勝を挙げ最多勝、沢村賞を受賞した。
2000年の巨人宮崎キャンプ。FA移籍の工藤公康や江藤智のほか、主力の松井秀喜、清原和博らが注目を集めるなか、最大の話題となったのは、26年ぶりに現役時代の「背番号3」を身にまとった長嶋茂雄監督だった。
長嶋監督は、いつ「背番号3」のユニフォーム姿を見せるのか。報道陣はその一挙手一投足を追いかけ、ファンもその瞬間を待ち望んでいた。しかし、キャンプ序盤から長嶋監督はグラウンドコートをずっと着た状態で、なかなかユニフォーム姿を見せない。日に日に期待が高まっていく。
そして2月12日、その日が訪れた。江藤への個人ノックを行う前、グラウンドコートのジッパーを下ろし、背中に「NAGASHIMA」と「3」の文字が現れる。その瞬間、詰め掛けたファンは大きな歓声が沸き起こり、球場は拍手に包まれた。1974年の現役引退以来となる「背番号3」のユニフォーム姿。長嶋監督は熱のこもったノックを浴びせ続けた。
ペナントレースに入ると、巨人は圧倒的な戦力で4年ぶりのリーグ優勝を果たす。盟友・王貞治監督が率いるダイエー(現ソフトバンク)と日本シリーズで戦うことになり、「ONシリーズ」と呼ばれ、大いに盛り上がった。この日本シリーズも制し、「ミレニアム」のこの年は、長嶋監督が主役であり続けた。
2012年、新球団・横浜DeNAベイスターズの中畑清新監督が、キャンプ中に話題を振りまいた。「熱いぜ!」のキャッチフレーズを掲げて、宜野湾キャンプ初日から精力的に動き回る。