今年の西川のサヨナラ弾は、「1992年のヤクルト・杉浦以来2人目のサヨナラ満塁ホームラン」と紹介されていた。しかし、杉浦の場合はサヨナラ満塁ホームランの上に「代打」がつく。
1992年、ヤクルト対西武の日本シリーズは第1戦からいきなり、3対3の同点のまま延長戦へ突入。延長12回裏、ヤクルトは1死満塁と一打サヨナラのチャンスを迎えた。
この場面でヤクルト・野村克也監督は当時40歳のベテラン・杉浦亨を代打に送る。杉浦は西武・鹿取義隆の投じた3球目をフルスイング。打球はライトスタンドに飛び込み、7対3でヤクルトがサヨナラ勝ちした。
この年限りでの現役引退を考えていた杉浦だったが、このサヨナラ本塁打で引退を撤回し、翌1993年まで現役を続けた。
また、この年の日本シリーズではヤクルトが2勝3敗で迎えた第6戦、秦真司が延長10回にサヨナラ本塁打を放ち逆王手に。続く第7戦に敗れたヤクルトは日本一を逃したが、4試合が延長戦、2試合がサヨナラ勝ちと白熱した好ゲームを展開。球史に残る日本シリーズとして語り継がれている。
通算868本塁打を放った「世界の王」こと王貞治。その王が存在感を発揮したのが1971年の日本シリーズ第3戦だった。
前年まで日本シリーズ6連覇中だった巨人はこの年、盗塁王・福本豊、強打の3番打者・加藤秀司、この年22勝を挙げたサブマリン・山田久志といった若手がチームの中心になりつつあった阪急と対戦。敵地・西宮球場での戦いを1勝1敗で終え、本拠地・後楽園球場へ戻ってくる。
第3戦、巨人打線は阪急の先発・山田の前に8回までわずか2安打に抑えられ、0対1で9回裏の攻撃を迎えた。2死一塁と阪急が勝利まであと1人と迫るなか、3番・長嶋茂雄が山田の変化球を泳ぎながらもセンター前へ運び、4番・王が打席に入る。
カウント1-1から王は山田の投じたストレートをライトスタンドへ運びサヨナラ3ランに。打たれた山田はその場にガックリと座り込んだ。この王の一振りがシリーズの流れを変え、巨人は第3戦以降3連勝。4勝1敗でシリーズ7連覇を達成した。
打たれた山田はこの悔しさをバネに翌1972年は初の最多勝を獲得。1975年から始まる阪急の日本シリーズ3連覇にはエースとして大活躍する。
ここまでは「サヨナラホームラン」の話題だったが、日本シリーズで巡ってきた現役最後の打席で「惜別の一発」を放った選手も紹介しよう。
1989年、巨人と近鉄の日本シリーズ。3連敗した巨人は第4戦から3連勝と巻き返し、3勝3敗で第7戦を迎えた。
4対2と2点リードで迎えた6回表、巨人は第5戦に満塁弾を放った主砲・原辰徳が2ランを放ち追加点を奪う。ここで7番・吉村禎章に代わり、この年限りで現役引退を表明していた中畑清が代打として登場する。
中畑は代わったばかりの近鉄・吉井理人からソロホームランをレフトスタンドへ運ぶ。打った中畑は両手を挙げて、ガッツポーズしながらベースを回った。試合は8対5で巨人が勝利。「3連敗からの4連勝」という奇跡の逆転劇で日本一を達成した。
そして2003年、阪神とダイエーとの日本シリーズの第7戦。ダイエーが6対1とリードした9回表2死、阪神はこのシリーズで5打席連続三振と不振に陥っていたベテラン・広澤克実を代打に送る。
現役引退が囁かれていた広澤だったが、カウント1-1からダイエー・和田毅の投じた真ん中のボールを強振。打球はライナーとなってレフトスタンドへ飛んでいった。1点を返した阪神だったがその後、続く沖原佳典が三振に倒れゲームセット。
広澤はこの時、41歳6カ月。ヤクルト時代の先輩・杉浦が持っていた日本シリーズ最年長本塁打記録を塗り替えた。
文=武山智史(たけやま・さとし)