11月29日、今季ソフトバンクの1軍投手コーチを務めた吉井理人氏が日本ハムの1軍投手コーチに就任することが発表された。
その就任会見で質疑にあがったのが、未だ1軍で結果を残せないままでいる斎藤佑樹をどうするかという話題だった。
「実力を出し切れていないし、成長の段階で壁に当たっていると思う」
そう切り出した吉井コーチは斎藤佑樹再生を明言した。
中学時代は新田町立(現太田市立)生品中で軟式野球部。関東大会ベスト8の実績で2004年に早稲田実に入学した斎藤。
2年次の2005年秋に東京都大会を制し、明治神宮大会ベスト4。翌年のセンバツでも関西高との引き分け再試合の熱闘を制し、全国ベスト8にまで駒を進めた。
しかし、それまでの斎藤は好投手のひとり。「高校野球ファンならば知っている」というレベルで、全国レベルの知名度はなかった。
斎藤の知名度が大きく上がったのは、同年夏の甲子園。田中将大との投げ合いの前に、マウンド上でハンカチで汗を拭く姿がフィーチャーされ、ご存知「ハンカチ王子」の二つ名を頂くと大フィーバー。
お母さんからもらったハンカチで、斎藤はスター街道に乗り、見事に甲子園を制するのであった。
ちなみにその際に使っていたハンカチは、大阪のハンカチメーカー・ニシオ株式会社が製造。その後、ニシオは「幸せの青いハンカチ」と銘打った商品を大々的に発売し、約65万枚を売り上げたという。
同年のドラフトで1位候補として名前が挙がっていたものの、早稲田大進学を決めた斎藤。
注目度は大学進学後も断トツで、東京六大学の早稲田戦は前年比3倍の観客を集め、地上波放送されるなど、熱は冷めなかった。
春に1年生投手では史上初となるベストナインを獲得すると、秋もベストナインを受賞し、絶好のスタートを切った。
しかし、大学生活後半になると徐々にフォームを崩し、コアファンの間では「斎藤は大丈夫か…?」と実力を危ぶむ声も出ていた。
それでもドラフトでは、日本ハム、ロッテ、ソフトバンク、ヤクルトの4球団が競合。当たりクジを引いた日本ハムに入団することになる。
【2011年】19試合6勝6敗 防御率2.69
異例の注目を浴びながらプロ生活をスタートした斎藤。黒山の人だかりを呼んだ春キャンプで調整の難しさはあったものの、1年目の4月に初登板・初先発・初勝利を収める。夏にはファン人気も相まってオールスターゲームに出場。上々の成績を収め、実力を証明したかに見えた。
【2012年】19試合5勝8敗 防御率3.98
2年目はなんと開幕投手に指名される。しかも完投勝利で話題をさらい、将来が期待された。しかし、この年、右肩を痛めた影響もあり徐々にフォームにほころびが生じはじめる。
【2013年】1試合0勝1敗 防御率13.50
【2014年】6試合2勝1敗 防御率4.85
3年目の2013年、右肩痛の影響で2軍スタートになると、ボロボロの状態に。2013年は大谷翔平がデビューした年でもあり、一気にスターが入れ替わった印象もある。
ちなみにこの年のはじめ、当時ロッテのグライシンガーが「大谷?ハンカチーフガイと同じでマスコミが騒いでいるだけだろ?」と斎藤を挑発。
なんとか仕返しがしたいところだったが、2軍でも防御率8.61でグライシンガーの言葉が結果的に正しいことになってしまった。
翌2014年もパッとせず。2軍でも17試合1勝7敗 防御率4.73だった。
【2015年】12試合1勝3敗 防御率5.74
そして今季もハンカチーフガイは浮かび上がれず。栗山英樹監督からは期待の反面、厳しいコメントも相次いだ。
「数字だけを見ると1勝しかしていない」
シーズン後、メディアにこう語った斎藤。2軍での成績も18試合2勝3敗 防御率5.03の乱調ぶり。27歳の投手には数字が求められるのではないか。
現在、Googleの検索窓に「斎藤佑樹」と入力すると「斎藤佑樹 引退」という何とも切ない予測ワードが出てくる。
このまま終わってしまうのか、それとも復活するのか。吉井コーチの教えを受けるには、まずは1軍定着が必要だ。
文=落合初春(おちあい・もとはる)