【この記事の読みどころ】
・発展途上国の選手が野球に挑戦することは美しいがその実態は……
・選手の受け入れは独立リーグじゃないとできないこと
・彼らが母国に帰ってから野球を根付かせることができるかどうかが本当の課題だ
「野球不毛の地」、と俗に言われる国々から、中でも発展途上国から、独立リーグが選手受け入れを始めたのは、いまに始まったことではない。2006年、南部アフリカ・ジンバブエ出身のシェパード・シバンダが香川オリーブガイナーズに入団したのが最初のことである。彼はその後、2008年に福井ミラクルエレファンツに移籍し、その年限りで母国に帰り、現役を引退している。
その後、関西独立リーグにネパール人やウガンダ人の選手が入団し、各々の国「初のプロ野球選手」と報道されたが、無給のこのリーグへの入団を「プロ野球選手誕生」とは呼べないだろう。
ゾーゾー・ウーやサンホ・ラシーナの例を含めて、途上国出身選手の独立リーグ入りの背景には、選手を援助する日本人やNPOの存在があり、受け入れる独立リーグ側の動機にも、国際貢献によるリーグの価値向上や話題作りの側面があることは否めない。「プロ野球選手誕生」は、メディアに自らの活動をアピールする格好のアイコンになるのだ。その一方、現実には、彼らが各々のチームで戦力となっていると言うことは難しい。
香川オリーブガイナーズのウーは、母国・ミャンマーでは代表選手として、アジアカップ、東南アジア選手権出場と、輝かしい球歴を誇っているが、その「野球不毛の地」での活躍も、野球大国・日本ではなかなか通用しない。
それでも、国際交流の一環として選手の受け入れにも意義はあるというのが、リーグの見解だ。
「フットワークの軽い我々だからできるんです。野球のアジアでの裾野拡大をいち早く行うことが独立リーグの発展や収益拡大につながっていくと思います」
ウーの獲得について、四国アイランドリーグplus・CEOの鍵山誠氏はこう言う。瀕死の状態のアイランドリーグを引き受け、10年間の歴史を積み上げたビジネスマンは、リーグ存続のための1つの方策として「アジア戦略」を思いついた。
「今、東南アジアには富裕層が誕生しています。普通の日本人よりよほど金持ちですよ。野球は彼らにとってアメリカ生まれのクールなスポーツ。そういう地域に野球を根付かせるため、現地での普及活動の中で野球を始めた選手を受け入れることは将来につながります」
現在、東南アジア各地に富裕層向けの野球アカデミーが誕生しているという。鍵山はそういう層を四国に呼び寄せるサマーキャンプの構想も持っている。
そのような経営陣の考えは、現場にどう反映されているのだろうか。
投手として、イロハのイからウーに手ほどきをしたコーチの伊藤秀範は、独立リーグの役割に理解を示す。
「純粋に戦力という見方をすれば、正直苦しいです。でも、野球途上国の選手をこうやって引き受けるっていうのも、独立リーグだからできること。そのあたりは、最初から理解してました。母国へ帰った後、自分たちが身につけたものを伝えてくれればいいと思います」
来日当初の球速は115キロ。伊藤は、とにかくウーを走らせ、体幹を鍛えさせた。その結果、ストレートは131キロを計測するようになった。
「リトルリーグから中学のクラブチームくらいですかね」
伊藤はウーの3年間をこう表現した。
ブルキナファソ人、サンホ・ラシーナを受け入れた高知ファイティングドッグスの梶田宙社長も、アフリカからの選手受入れに理解を示す。彼は、昨年まで選手だった目線からもラシーナの成長に太鼓判を押す。