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追悼・今年なくなった偉人たちを振り返る

 師走。各メディアにおいて、今年亡くなった著名人を振り返る特集が組まれるこの季節、野球界を振り返っても、実に多くの先達が人生の幕を降ろしている。

 大きな衝撃を与えたのが、「赤バット」で終戦直後の球界を盛り上げた川上哲治の突然の訃報だ。巨人軍監督として、14年間で優勝11回。特に1965年からは9連覇を成し遂げ、誰よりも日本シリーズが似合った男は、日本シリーズ中の10月28日に息を引き取った(享年93)。「打撃の神様」の異名で呼ばれた川上だが、戦前には投手としても活躍。今年、話題を集めた大谷翔平(日本ハム)の「二刀流」を誰よりも先駆けた存在だった。

 今年は他にも、投手として一時代を築いた偉人が数多く亡くなっている。
 巨人のエースとして通算130勝57敗。最多勝2回、最優秀防御率1回、沢村賞1回に輝いた大友工が4月12日に死去(享年88)。東映の快速投手として通算107勝83敗。最多勝も経験した尾崎行雄が6月13日に死去(享年68)。同じく東映のエースとして通算162勝135敗。江戸っ子気質のテンポの速い投球で人気を集めた土橋正幸も、8月24日に死去している(享年77)

Q.では、上記の川上哲治、大友工、尾崎行雄、土橋正幸のうち、学生時代に甲子園優勝投手になったことがあるのは誰?


▲土橋正幸さんの追悼記事は9月3日更新の「伝説のプロ野球選手に会うということ」にて。


A.尾崎行雄


 尾崎行雄は大阪・浪商高(現大体大浪商高)2年時、1961年の第43回大会で甲子園優勝投手に。そして同年11月に高校を中退し、東映フライヤーズに入団。1年目からいきなり20勝を挙げ、見事新人王に輝いている。夏の甲子園優勝投手の中で、戦後初のプロ通算100勝投手となったのが尾崎だった。

 川上哲治は、熊本県立工業学校(現熊本工高)で夏の全国中等学校野球選手権大会へ2度(1934年・1937年)出場し、いずれも準優勝に終わっている。

 面白いのが大友と土橋。二人とも「軟式野球」出身のため、そもそも甲子園に出ていないのだ。学生時代の経歴は関係なく、球界のトップに登りつめることができるという好例と言えるだろう。

 最後に、この4人以外で、今年亡くなった主な日本球界関係者を振り返りたい。
1月2日
高野裕良(元巨人ほか/享年88)
1月6日
趙成?(元巨人/享年39)
4月24日
長谷川一夫(元ロッテほか/享年68)
4月27日
アニマル・レスリー(元阪急/享年54)
4月28日
大脇照夫(元国鉄/享年83)
7月1日
武智文雄(元近鉄/享年86)
7月15日
石井晶(元近鉄ほか/享年73)
11月4日
根来泰周(※元プロ野球コミッショナー/享年81)

ご冥福をお祈りします。
(文中の敬称略)


文=オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。また「幻冬舎WEBマガジン」で実況アナウンサーへのインタビュー企画を連載するなど、各種媒体にもインタビュー記事を寄稿している。ツイッター/@oguman1977

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