カープ優勝を知る最年少アナウンサー……そんな肩書き(?)を持つのが、今年でアナウンサー歴25年を迎える石原敬士(いしはら・たかひと)アナウンサーです。CS放送のプロ野球中継、MLB中継はもちろん、昨年のプレミア12では決勝戦のマイクを担当するなど、これまでの様々な経験の裏側にあった思い出深いエピソードを2回に渡ってお届けます。
プロ野球は春季キャンプの真っ最中。この時期、話題の中心にいるのは初々しいルーキーたちだ。練習中の出来事だけでなく、「初めての休日」「初めての声だし」と休まるときはないが、目立ってナンボのプロの世界。最初にどう印象づけるかで、その後の人気度、注目度も変わって来てしまう。
同様に、新人アナウンサーにとっても「初めての取材は印象が大事!」と石原アナは若き日の出来事を思い出してくれた。
「私が大学を卒業し、テレビ新広島に入社したのが1991年。その年、はじめて広島カープの球場取材に行けることが決まったとき、どうにか名前覚えてもらいたい!と考えて用意したのが、自作の名札でした。上司に『これを付けて球場入りしてもいいですか?』と確認してみたところ、『そんなの前代未聞だよ!』と言われましたね(笑)」。
そんなお手製名札に真っ先に反応してくれたのは、あの大投手だったという。
「初日はもう緊張して立ってるだけ! 『お疲れさまです!』『おはようございます!』くらいしか言えませんでした。でも、ある選手がパッと止まってくれて、ジーッと名札見て、『お? 新人? よろしくね!』と。それが大野豊さんでした」
自身も新人時代、「天文学的防御率135.50」と評された苦いデビュー経験を持つ大野豊だからこそ、新人アナへの気配りができたのだろうか? ちなみに、石原アナが入社した1991年といえば、カープが「最後に優勝した年」としても知られている。石原アナは優勝の瞬間を当時の広島市民球場で目撃したひとりだ。
「あれから25年。いまだに私が『カープ優勝を知る最年少アナウンサー』なんです。今年で48歳なんですが……。もういい加減、この称号は取れていいと思うんですけどね」。
広島時代のエピソードをもうひとつ。「これまでで一番大変だった中継はどんな試合ですか?」という質問に、「喋りだけで1時間つないだ」というエピソードを披露してくれた。
「試合開始も放送開始も18時、というカープ対ジャイアンツ戦で、私は18時〜19時の1時間を担当することになっていました。その場合、メンバー表交換が17時30分に行われます。ところが、17時25分頃から突然土砂降りになってしまい、試合開始時間が決まらないまま、放送開始の18時がきてしまったんです」。
雨エピソードの次は、晴れの日のエピソードについて。デーゲームといえば、選手はサングラスやアイガードシールを付け、日射し対策をするのがお馴染みの光景だ。そして意外にも、実況アナも「日射し対策」が必要なのだという。
「球場にもよりますが、日射しや人工芝からの照り返しが眩しい場合、サングラスをかけて実況することはあります。私以外にも何人かいますよ。たとえばQVCマリンフィールド。何年か前に人工芝を張り替えた直後から、ものすごく照り返しがきつくなった球場ですね」。