前回は球場の華「ビール売り子」に課せられた知られざるオキテ、そして更衣室での修羅バトルについて、教えてくれた現役ビール売り子のMさん。
居酒屋でのお酒の勢いも手伝って、ついに本題ともいえるアレを聞いてみた。
――ズバリ、どうすればビール売りの女の子と仲良くなれるのか?
球場に行けば、売り子と仲良く会話する男をしばしば目にする。ナンパとは異なる、完全に「常連さん」という雰囲気の、こなれた男だ。
それを見て、年に数回ほど球場に足を運ぶ、一般的な野球ファンは「常連さん」との格の違いを思い知らされる。売り子と仲が良いことは球場での一種のステータスなのだ。
彼らのように売り子と仲良くなり、野球場でのお楽しみ度を上げるにはどうすればいいのか?
「年に2〜3回しか来ない方と仲良くなるのは難しいですね」
と、Mさんは笑った。いきなり出鼻をくじかれたが、これは当然のこと。
ビールの売り子は単純な時給制ではなく、時給にプラスして1杯につき、数十円のインセンティブが入る。さらに売り上げの達成に応じて、ボーナスが支給される完全実力社会なのだ。
だからこそ、球場に華を添える魅力的な人材が、約15キロもの樽を担いで階段を上り下りする過酷なバイトに集まっている。
重要なのはもちろん売り上げ。売れない奴は二度と呼ばれないという、グラウンドの中と同じシビアな世界なのだ。
「アイドルと同じなんですよ。握手会とかでアイドルが常連を『認知』するみたいに、私たちもいつも買ってくれるお客さんを認知しているんです」
つまり、まずは球場に通って認知されるところがスタート地点ということだ。アイドルと同じく他の子に浮気せず、同じ子から1日通して、買い続けることもポイントだという。
「そういうお客さんが来てくれると本当に嬉しいです。次のシフトのときはそのお客さんがいないか探しちゃいますね」
と、八重歯をのぞかせるMさん。毎回、同じ場所にいる人はさらに認知しやすいという。
「次、いつ来るんですか?」
「明日も来るんですか?」
などと売り子に聞かれたら大チャンス。それが上客になれた「サイン」だとMさんはいう。
そこですかさず、自分のLINEのIDやメールアドレスを教えるべきと続けた。
でも、いきなり連絡先なんて大丈夫? キモくない?
「実は大歓迎なんです。売り上げ上位の子はお客さんと連絡先を交換して、『明日、ライトスタンド担当します♪』みたいなメールを送っているんです」
つまり「営業」が第一義だが、こちらとしても球場に行って、お気に入りの子がいなかった、というガッカリな事態も防げるようになる。
トップクラスの売り子の中には複数球場を掛け持ち、営業メールでビジターにまでお客さんを連れてくる猛者もいるという。
そんなわけで連絡先の交換は積極的なスタイルでOK。営業に対するレスポンスを忘れずに、球場に駆けつけてビールを飲もう。
「実は常連さんが頼む、秘密のメニューがあるんです」
そういって怪しく微笑んだMさん。まさか「スペシャル生」みたいなものが存在するのだろうか!?
「売るのは同じビールです(笑)。あまり知られていないんですが、売り子にラストオーダーを頼むことができるんです。7〜8回に売り子が撤収したあと、最後の1杯を持って駆けつけてくれますよ」
詰まるところ、いつも忙しくて長くおしゃべりできない売り子と、比較的長く会話できるチャンスなのだ!
「初めてのお客さんでもラストオーダーを頼まれる方は、『あ、わかってるな』と思いますね。積極的に連絡先の交換を狙います」
これぞマル秘テク。一緒に球場に行った友達にもドヤ顔できる常連さんの裏技だ。
常連になり、ビール売りの女の子と仲良くおしゃべりできるようになった、その後は……。
「基本的にないです」
とMさんはピシャリ。もちろん、トラブル防止の観点からもそこから先の営業はNG項目だ。しかし、例外もあるという。
「かなり前ですけど、メインじゃない球場にヘルプで行ったとき、常連さんと他社の売り子が一緒にスタンドで観戦してたんです。しかも、常連さんひとりに対して女の子が5〜6人で。あとから聞いた話だと、その人が『チケットいっぱいあるから、みんなおいでよ』って誘ったみたいです。上からのお許しがあったのかは知らないですけど、みんな、○○(某イケメン選手)のユニフォームを買ってもらっていました」
なんと、うらやましい話……。
「でも、私たちっていつも客席しか見てないから、『野球をじっくり観たい』っていう気持ちはありますね。球場ならデートじゃない、ぎりぎりセーフな感じはします」
なるほどなるほど。じゃあ、来週一緒に観に行こうか!
「ないです」
けんもほろろに一蹴されたところで、インタビューはお開き。現役ビール売り子が教えてくれた珠玉のテクニックで、もっと球場とビールをエンジョイしよう!
■プロフィール
落合初春(おちあい・もとはる)/1990年生まれ、広島県出身。編集者。大学時代から編集プロダクションで勤務し、野球や歴史の媒体制作に携わる。元プロレスレフェリー。