今季のプロ野球では、長い雌伏の時を経てブレイクした選手たちがいる。
セ・リーグでは安部友裕(広島)。2007年の高校生ドラフトで唐川侑己(ロッテ)の外れ1位として広島に入団する。なかなかレギュラー定着には至らなかったがプロ9年目の昨季、三塁のレギュラーに定着し、優勝に貢献。
今季は5月下旬に規定打席に到達。一時は打率トップに立つなど、首位を走る広島にとって欠かすことのできない存在へと成長した。
また、パ・リーグでは松本剛(日本ハム)の名前が挙がる。帝京高時代は大型内野手として注目を集め、2011年のドラフト2位で日本ハムに入団。昨季までのプロ5年間で、1軍では25試合にしか出場できず、レギュラーはおろか1軍にも定着できていなかった。
しかし今季は4月下旬からスタメン出場が増え、特に交流戦では打率.396を記録し、丸佳浩(広島)に次ぐ交流戦打率2位に輝いた。交流戦後もスタメン出場は続き、主に2番打者としてスタメンに名を連ねている。
彼らのようにプロ野球の世界に大器晩成で活躍した選手たちが過去にはいる。そんな選手たちを振り返りたい。
安部の活躍で思い出されるのは2004年、プロ10年目でレギュラーとなり首位打者を獲得した「赤ゴジラ」こと嶋重宣(広島)だ。
東北高から投手として入団した嶋はプロ5年目の1999年に野手へ転向。同年には1軍で3本塁打を放つも、年々出場機会が減ってしまう。しかし2004年、少ないチャンスをモノにすると右翼のレギュラーに定着。そのまま高い打率をキープし、終わってみれば打率.337、32本塁打、84打点。キャリアハイの数字を残し、首位打者を獲得する。
翌年以降も広島打線の中軸を担い、西武移籍後の2013年まで現役でプレーした。
1995年、日本ハムで長年に渡って二塁のレギュラーを張った白井一幸に代わり、二塁に入ったのが当時プロ14年目の渡辺浩司だった。1981年に新潟商高からドラフト外で日本ハムに入団した渡辺は、プロ7年目の1987年に初めて1軍出場を果たす。しかし、1992年の19試合を最多に、なかなか出場機会に恵まれなかった。
そして1995年、白井の戦線離脱でチャンスが回ってきた渡辺は「2番・二塁」に定着。116試合と一気に出場試合数を伸ばした。2年後の1997年に34歳で引退したが、新潟出身とあって水島新司氏のマンガ『あぶさん』にも主人公・景浦安武の同郷の後輩として登場するなど、印象深い選手だった。
2001年、プロ12年目のこの年に13勝を挙げ、ダイエー(現ソフトバンク)の先発投手陣を支えたのが田之上慶三郎だった。
田之上は1989年にドラフト外でダイエーに入団し、プロ7年目の1996年にプロ入り初登板を果たす。翌1997年にはプロ初勝利を挙げるなど32試合に登板した。そして2000年には先発ローテーションの一角に入り、8勝4敗とリーグ優勝に貢献。 前述の2001年は自己最多の13勝を挙げ、唯一のタイトルとなる最高勝率に輝いた。
2003年以降は投手陣の世代交代もあり登板機会が減り、2007年限りで現役引退。18年の選手生活だった。
文=武山智史(たけやま・さとし)