オリックスでのイチローの先輩選手であり、もっとも仲がよかったのが福良淳一である。阪急ブレーブス入団当時は、イチローと同じ背番号51を3年間つけていた。
1994年は1番・イチロー、2番・福良の1、2番コンビが多く起用された。猫の目打線と呼ばれ、毎試合のように打順が変わった仰木彬監督の采配にあって、この2人への仰木監督の信頼感がうかがえる。イチローも福良が2番に控えているオーダーはやりやすかったという。
福良はこの年、連続守備機会無失策836の日本記録を樹立。2度目のベストナインに輝く活躍を見せた。
イチローは、福良の野球に対する姿勢を見習っている。また福良もイチローに様々なアドバイスを送る仲だった。
イチローと同期入団の田口壮。1991年のドラフト1位でオリックスに入団。同4位で入団したのがイチローだった。
即戦力の内野手として期待されたが、外野手に転向した1994年から活躍が始まる。内野守備では送球に難があったが、逆に外野守備ではその強肩が生かされたのだ。左翼・田口、中堅・本西厚博、右翼・イチローの外野陣は鉄壁と言われた。
1995年は1番・田口、2番・イチローというオーダーで開幕。しかしその後は、1番・イチロー、2番・福良という並びが多かった。途中、福良がケガで戦線を離脱すると、田口が2番、または3番に入ることが多くなった。田口はイチローとともにフルイニング出場を果たし、リーグ優勝に貢献した。
1996年は1番・田口、3番・イチローでオーダーがほぼ固定されるようになった。1番・田口、2番・福良、3番・イチローという3名が連なるオーダーもあった。
オフの日には田口の車にイチローが乗り込み、食事をしながら野球の話をよくしたそうである。
1995年、「がんばろう神戸」のキャッチフレーズの下でリーグ優勝を勝ち取り、阪神・淡路大震災の被災者に勇気を与えたオリックス・ブルーウェーブ。
1996年には本拠地・神戸での優勝を実現し、日本一にも輝いた。その中心にいたのがイチローであり、福良であり、田口だった。彼らが知る勝利のエッセンスを1996年以来、優勝から遠のいているチームに継承することを期待する。
文=矢上豊(やがみ・ゆたか)
関西在住の山本昌世代。初めてのプロ野球観戦は、今はなき大阪球場での南海対阪急戦と、生粋の関西パ・リーグ党。以来、阪急、オリックス一筋の熱狂的ファン。プロ野球のみならず、関西の大学、社会人などのアマチュア野球も年間を通じて観戦中。