腕一本で食べていく勝負師が集うプロ野球界。プレーはもちろんのこと、グラウンド外でも「規格外」の男たちが凡なる常識を揺らがせてきた。
そんなどデカイスケールの「漢」たちの変人エピソードを紹介していく当連載。最終回は日本人離れの言動で驚かせた「愛すべき助っ人外国人選手」にクローズアップ!
変わった助っ人を挙げるとなると、必ずと言っていいほどトップバッターを務めるマイク・グリーンウェル。
1996年までの12年間に渡るメジャー通算打率は.303(4623打数1400安打)。1997年に、当時の球団史上最高の3億円を超える高額年俸で阪神にやってきた。
当然、一流メジャーリーガーの働きを期待されたが、5月上旬に「野球を辞めろという神のお告げがあった」と突如引退……。これには阪神ファンならずとも目が点に。忘れたくても忘れられない助っ人だ。
ちなみに阪神は「グリーンウェル」の7文字が表示できるよう、甲子園の電光掲示板の改修までしていた。
また、居住用のマンションが「狭い」と言われたら、壁を取り払うリノベーション工事を行い、2部屋分の広さを確保するなど手厚いケアをしたのだが、シーズン開幕から約2カ月ですべてが無駄になった。
ロベルト・ペタジーニやアレックス・ラミレス(現DeNA監督)、ウラディミール・バレンティンなど、優良助っ人の獲得に定評があるヤクルトだが、ときおり「おもしろ系」の選手が混ざることもある。
■ラリー・パリッシュ(ヤクルトほか/1989年〜1990年)
メジャーリーグ通算256本塁打のパワーを期待され、1989年にヤクルトに入団したラリー・パリッシュ。
そのパワーの源はなんと大好物のワニの肉。入団会見で「フロリダでは普通に食べている」と言って話題になった。
ヤクルトの本拠地・東京では、1軒だけワニの肉を提供するお店があったため、そこで英気を養うことができたという。そのおかげか、1年目から42本ものアーチをかけて本塁打王を獲得した。
日本の食事に馴染むのではなく、“オレ流”で見事に結果を残した。
■アーロン・ガイエル(ヤクルト/2007年〜2011年)
近年のヤクルトの「おもしろ助っ人」に、ガイエルを挙げたい。
来日1年目の2007年、打率に比べて出塁率が異常に高いことが話題になった。特に4月は打率1割台と低迷するなか、毎試合のように四球で出塁。
3打席連続で四球出塁の試合もあるなど、あまりの四球の多さに、当時のリードオフマン・青木宣親(現アストロズ)を差し置いて、1番打者として出場することもあったほどだ。
この年、最終的にはセ・リーグ2位の88四球を選び、出塁率は4位の.381。しかし、打率は結局上がらず、規定打席到達者のなかで32位の.245止まりに終わった。
ただ、残したインパクトは抜群だった。
乱闘でボクサー顔負けのパンチを繰り出す助っ人の姿を見ると、「外国人選手は怒らせたくない」と思うが、「必要以上に喜ばせたくない」とも思わせたのが、ブーマー・ウェルズとアニマル・レスリーの2人だ。
■ブーマー・ウェルズ(阪急ほか/1983年〜1992年)
オリックス時代、ブーマーは本塁打を放った門田博光とハイタッチした際に、その怪力で門田を脱臼させてしまう。元々、門田には脱臼癖があったのだが、このケガで門田は大事なシーズン終盤を棒に振ってしまったため、門田以上にブーマーが落ち込んだそうだ……。
■アニマル・レスリー(阪急/1986年〜1987年)
アニマルは阪急の抑えとして活躍。試合が終わると「スキンシップ」と称して捕手をボコボコに。そのため、捕手は試合が終わってもマスクやヘルメットを外さなかったとか。
ちなみに捕手を手荒く祝福した後は、ロッカールームでもひと暴れ。しかし、それでも満足しないこともあったという。チームメイトによると、普段は真面目で気が弱い面もあったそうだが、にわかには信じがたい……。
アニマルに続いて珍発言を残して去った助っ人投手を紹介しよう。
■エリック・ヒルマン(巨人ほか/1995年〜1998年)
ロッテ時代の1995年、1996年に2年連続で2ケタ勝利を挙げたヒルマン。1996年にはベストナインに選ばれるなど、ロッテ投手陣の柱として活躍。その活躍に目をつけたのが巨人だった。
巨人は2億5000万円の金銭トレードでヒルマンを獲得。ここから悲劇は幕を開けた。
1997年、ヒルマンには巨人のリーグ連覇のキーマンとして期待がかかった。しかし、移籍直後に左肩を故障。わずか2試合の登板で終わった。
オフに手術を行うもののコンディションは戻らず、1998年シーズンは「肩の違和感」を訴え続け、登板拒否。挙句の果てに「左肩に小錦が乗っているようだ」という珍発言まで飛び出す始末。
肩の違和感で押し通したことで、「ミスター違和感」という不名誉なあだ名をつけられ、2軍落ちしてからは昼頃に帰宅してしまうため「昼マン」と揶揄された。
この愚行に堪忍袋の緒が切れた、当時の球団オーナー・渡邉恒雄氏は「金をやるから出て行け!」と一喝。
こうしてヒルマンは、巨人での2シーズンで2試合の登板にも関わらず5億円をゲット。「グリーンウェルたちと一緒にしないでくれ」「巨人に復帰するのが夢だ」という言葉を残して去っていった。
助っ人外国人は、日本人離れした能力をチームに注入するために獲得されるケースが多い。しかし、なかには野球の腕よりも、特異な言動が話題になることがある。
プロ野球は勝負事であると同時に興行でもある。ときにはこういった「おもしろ助っ人」というエキスも必要だろう。
「事実は小説より奇なり」を地で行った助っ人たち。これからもプロ野球における「変人伝説」の過去と未来をつなぐ架け橋としてあり続ける。
文=森田真悟(もりた・しんご)