1月30日(土)に全国一斉発売となった『野球太郎テクニカルVol.01』。80年以上の歴史を誇るプロ野球界が、常に「変化」を続けている点に着目し、変化する「野球のトレンド」を知ることで、今季のプロ野球をより一層、楽しもうというコンセプトで創刊された。
時代の移り変わりとともに、変化を続けるプロ野球界。2016年シーズン開幕前に、現在の球界で「主流」となっている最新のトレンドを【投手編】【野手編】【首脳陣編】【ドラフト戦略】の4回に分けて紐解いてみよう。
第1回目の今回は、投手についてのトレンドを考察したい。
ご存じの通り、現在の球界の投手起用の主流といえば、分業制が当たり前。高校野球でさえ、チーム投手陣のなかでもエース級を2人育成して、決勝戦までローテーションを組むことが珍しくなくなった。
ところがプロ野球創生期は人員不足も相まって、戦前から戦後の混乱期にかけては、無謀な先発連投が強要されていたことをご存じだろうか。別所毅彦、杉浦忠、稲尾和久、杉下茂。プロ野球のレジェンドといえる面々は、この時代の酷使にもかかわらず連戦連勝を記録した投手たち。なかでも400勝をマークした金田正一は別格といえる。
最近こそ「当時のオレは球速200キロは出ていた」などの老害発言も多いが、まあ年寄りの戯れ言として許してあげようではないか。400勝も偉大だが、これが連日連投の酷使の中で成し遂げられた記録だという事実こそが偉大なのだ。そう、当時の金ヤンは200キロ出ていた。そういうことにしておいてあげるのは思いやりなんかではない。カネやんへのリスペクトだ。
現在のプロ野球界では、もはや絶滅危惧種といえる先発完投型投手。エース投手は年間で25試合前後の試合に登板するなかで、200イニングに到達するには毎試合のように8回を投げる計算だ。それには年間でローテーションをしっかりと守ることが絶対前提条件。
さらに近年の日本球界は、カットボールやスプリットといった肘に負担がかかりやすい球種がトレンドとなっており、投手はケガをしやすい傾向にある。こうしたことから考えると、年間200イニング達成がいかに難しいかがわかるだろう。
昨季、200イニングの大台をクリアしたのは、今シーズンからメジャーリーグのドジャースに加入する前田健太(206イニング)と、大野雄大(中日・207イニング)。前田は最多勝利と沢村賞も受賞してメジャーに羽ばたいた。日本よりもさらに分業制がトレンドといえるメジャーの世界で、果たしてマエケンはどこまで長いイニングを投げることになるのか。この辺りも注目したい。
現代野球の投手たちの役割は、大きく分けて2つに分類されている。試合開始からマウンドに立つ先発投手(スターター)と、試合展開によって途中イニングから先発投手と交替してマウンドに立つ救援投手(リリーフ)だ。
さらにこのリリーフはふたつに分類され、試合を決める終盤イニング(主に9回)に登板する抑え投手(クローザー)と、先発と抑えの間に登板する中継ぎ(セットアッパー)に分かれる。そして現在の投手の起用法は、先発・中継ぎ・抑えとはっきりした分業制になっているのはご存じの通り。
この分業制が定着したきっかけはいくつかある。2リーグ制に移行した時代にはある程度の人手不足も解消され、チーム内で先発投手のローテーション化が実現。さらにはリリーフ投手の「地位向上」も次第に確立されてくる。
1974年には、セ・パ両リーグで「セーブ記録」が公式記録として導入されたこと、もうひとつは阪神から南海に移籍した江夏豊が抑えに転向したことが、リリーフ陣に夢と希望を与えたといえる。
阪神時代の江夏は村山実とともにエースを張っていたが、血行障害や心臓疾患が悪化。成績は年々下降するなか、南海へのトレードの話が湧き出る。江夏は一時は野球を辞めようとも思ったというが、野村克也選手兼任監督と出会い、その野球観に深い感銘を受けて南海での現役続行を決意。そこで野村監督は、幾度となく抑え投手への転向を打診する。
「野球界に革命を起こそう」という野村監督の言葉で決心がついた江夏は、1977年6月に抑えに転向。その年19セーブを挙げて、最優秀救援投手に輝いた。同時に初めてシーズンMVPも授賞して、日本球界における抑え投手のパイオニアとなったのである。
以降、プロ野球界では抑え投手の重要さが徐々に定着。それがピークに達したのは、大魔神の異名をとった佐々木主浩の活躍だろう。抑え投手として年俸も3億円を超え、一流の抑えは一流の先発よりも高年俸を得た。ついに抑えという概念が、プロ野球に定着したのだった。
そして1990年代には、佐々木主浩のいた大洋(現DeNA)が、先発投手から、盛田幸妃→佐々木という勝ちパターンの継投策を採用。長嶋茂雄監督(当時巨人)が勝ちパターンのリリーフ継投を「勝利の方程式」と名づけ、1996年からはNPBで最優秀中継ぎ投手賞も制定され、抑え投手だけでなく中継ぎ投手の地位も向上していく。
さらに2005年には岡田彰布監督(当時阪神)は、1試合での球数や投球イニング、キャッチボールや登板間隔まで細かく管理する継投策を導入。JFK(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之)は他球団に大きな衝撃を与えた。また、2011年には浅尾拓也(中日)が、中継ぎ投手としては初のシーズンMVPを受賞。山口鉄也(巨人)や、五十嵐亮太(ソフトバンク)などは鉄腕と呼ばれ、平均年俸も3億円を超えるまでになった。
時代とともに変わる起用方法に順応してきた投手たち。起用方法だけでなく、その投球姿勢にもトレンドがある。
かつては走者がいなければ、ワインドアップポジションが主流だった。大きく振りかぶり、グラブと球を頭の後ろまで移動。そこから片足を上げて、両手を腹のあたりまで戻し、上げた足を前方に踏み込みながら反動を利用して球を投げる。走者を気にせず、ゆったりと大きなモーションで投げることで球に力を伝えやすくなり、球速アップにつながる。球威のために制球を犠牲にするモーションだ。
対するセットポジションは、制球のために球威を犠牲にするモーション。フォームそのものが小さいので制球力はアップするが、反動を利用できず力も球に伝わりづらいため、ワインドアップより球の威力が落ちる。また、走者がいるときは、牽制するためにもセットポジションにする必要がある。
両者のいいところだけを取ったのがノーワインドアップ。片足を引いたとき、振りかぶらずに、グラブと球を腹や胸の前、あるいは顔の前あたりで止める。振りかぶらないぶんだけワインドアップよりも制球できるし、モーションが大きいぶんだけセットポジションより球威アップが期待できる。
かつてのトレンドがワインドアップだとするなら、今のトレンドはノーワインドアップかセットポジションだ。ワインドアップはもはや絶滅危惧種。現役でも数えるほどしかいない。
というのも、最近の野球理論でワインドアップはほとんど意味がないことがわかってきたからだ。要はセットポジションでも球威は落ちないことが判明。それどころか、球威がアップした例も報告されている。下半身だけでなく体幹も鍛え、スムーズに体重移動できれば、セットでも球威アップが期待できるのだ。
だとしたら、制球を乱しがちなワインドアップは不利な投球姿勢ということになる。投手自身の好みもあるだろうが、セットポジションに転向する例も急増中。大谷翔平(日本ハム)や藤浪晋太郎(阪神)など、次代を担う若きエースたちが軒並みセットポジションに転向している。