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プロ野球生活の転機!? 人的補償でチャンスつかんだ選手たち

 ヤクルトから巨人にFA移籍した相川亮二の人的補償として、ヤクルトはプロ2年目の内野手・奥村展征を獲得した。奥村はプロ1年目の昨年は2軍で86試合に出場。巨人の2軍首脳陣が大いに将来を期待していた選手であり、その将来有望な選手を選んだヤクルトを評価する声が上がった。

 金銭補償が多いFA移籍での補償だが、最初に人的補償が行われたのは1995年オフ。日本ハムから巨人へ移籍した河野博文の際に、川辺忠義が日本ハムへ移籍した。ここでは人的補償での移籍を機にチャンスを掴み、新天地で活躍した選手たちを紹介したい。


福地寿樹(西武→ヤクルト)


 広島時代は走塁のスペシャリストとして重宝されたが、2006年開幕直前に青木勇人との交換トレードで西武へ。1番打者に抜擢されると出場機会を大きく増やし、課題としていた打撃も打率.289をマークして成長の跡を示した。翌2007年も主に1番打者として活躍したことが評価され、石井一久の人的補償としてヤクルトへ移籍する。

 ヤクルトでは移籍初年度の2008年に自己キャリアハイの打率.320、42盗塁で初の盗塁王を獲得。2009年も42盗塁と2年連続でセ・リーグ盗塁王に輝いた。その後、2012年までプレーし通算1009試合出場、251盗塁で15年間の現役生活を終えた。

赤松真人(阪神→広島)


 阪神時代は1年目の2005年にウエスタンリーグで首位打者、盗塁王、最高出塁率などのタイトルを獲得。翌2006年も2年連続で2軍のタイトル(最高出塁率)を獲るなど、その片鱗を見せた。しかし、1軍では不動のセンター・赤星憲広がいたため1軍出場は2007年の28試合が最高だった。

 同年オフに新井貴浩の人的補償で広島へ移籍直後の2008年には125試合に出場。プロ入り初本塁打を先頭打者本塁打で飾るなど、移籍を機にレギュラー級の活躍を見せた。

 特に赤松の名を一躍有名にしたのは2010年8月4日、マツダスタジアムで行われた対横浜戦だ。5回表、村田修一が左中間へ放ったホームラン性の当たりに対し、赤松はフェンスによじ登り、スタンドイン寸前で捕球するスーパーキャッチを見せる。このプレーはアメリカでも話題を呼び、「赤松=守備の人」を印象付けた。もちろん、元々、俊足を生かした守備範囲の広さと判断力には定評があった。なかなか陽の目を浴びなかったが、このプレーで赤松の守備力の高さが多くの野球ファン、記者に認知され、赤松は同年、ゴールデングラブ賞を受賞した。現在も守備固め・代走としてカープに欠かせない存在となっている。

一岡竜司(巨人→広島)


 福岡の専修学校・沖データコンピュータ教育学院から巨人に入団した異色のピッチャー。プロ1年目の2012年は4試合、翌2013年は9試合の1軍登板だったが、大竹寛の人的補償で広島へ。移籍1年目の昨年は開幕1軍を果たすと、150キロ近いストレートを武器に、中継ぎ投手陣の一角に食い込む。

 4月26日の古巣・巨人との一戦でうれしいプロ初勝利をマーク。シーズン初登板から5月29日のロッテ戦で自責点2が付くまで、20試合連続で自責点0という安定した投球を見せ、広島の勝ちパターンに欠かせない存在にまで進化を遂げた。しかし、初のオールスターゲーム出場を果たした直後の8月、右肩痛を訴え戦線を離脱。その後、1軍復帰は叶わなかったが、31試合に登板し2勝0敗2セーブ、16ホールド、防御率0.58の結果を残した。


 一般的にFAでの人的補償には、多少マイナスなイメージがあるのは否めない。しかし、上記の3選手のように環境が変わったことで出場機会が増える、レギュラーに定着するといった「化学反応」を起こす可能性は秘めている。ヤクルトへ移籍する奥村も先輩たちのように、チャンスを掴み大きく飛躍してほしい。


(2015年1月27日/スポニチ・アネックス配信)
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/01/27/kiji/K20150127009691000.html

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