「平成の怪物」「日本のエース」。大げさすぎる修飾語でもその存在感を表現しきれなかったのが、在りし日の松坂大輔だ。
1998年、横浜のエースとしてセンバツ優勝を成し遂げると、「打倒! 松坂」を合言葉に挑んできた神奈川の猛者たちを寄せつけず、夏の甲子園に帰還。2回戦では、初戦でノーヒットノーランを演じた鹿児島実の杉内俊哉(巨人)に投げ勝ち、準々決勝ではPL学園との延長17回におよぶ伝説の死闘を制し、250球の完投勝利。準決勝では明徳義塾から奇跡の逆転劇で勝利をもぎとり、そして京都成章との決勝戦でまさかのノーヒットノーラン。
あの夏、甲子園のマウンドに君臨した松坂は、あまりに圧倒的だった。
あれから19年、右肩痛に苦しむ松坂はマウンドにすら立てていない。
7月上旬に、キャッチボールができる状態にまで回復、という報道が流れたが、その後はまた、何の音沙汰もない状況だ。3年契約の3年目。このままボールも握らず、何も言葉を発しないままシーズンを終えてしまうのだろうか。
奇しくもこの夏は、母校・横浜だけでなく、決勝戦で戦った京都成章も甲子園に出場。あのノーヒット決勝戦以来、19年ぶりの甲子園だという。時の流れを痛感するばかりだ。
身長172センチの小さな体を補うために編み出した「琉球トルネード」。その独特なフォームでまさに旋風を巻き起こしたのが2010年の島袋洋奨と興南だった。
まずは春。センバツに出場した島袋は、1回戦から14個の奪三振を記録。その後も順調に勝ち進み、見事にセンバツ優勝を達成した。
だが、沖縄県民にとって「夏」こそが悲願。それまで、沖縄勢はセンバツで優勝することはできても、夏の甲子園を制することがどうしてもできなかったからだ。そんな「沖縄の夢」も背負って夏の甲子園にやってきた島袋。もっとも苦しんだ報徳学園との準決勝で、序盤に5点のリードを許しながら大逆転勝利を収める。その勢いのまま、決勝では東海大相模を13対1で圧勝。沖縄勢初となる夏制覇を、春夏連覇で成し遂げたのだ。
あの年、島袋は春・夏の甲子園で11勝0敗、102奪三振を記録した。
あれから7年。中央大を経て、プロ3年目の島袋の主戦場は2軍と3軍の試合だ。
今季、7月21日には阪神2軍との試合で甲子園のマウンドを踏み、1イニングながらノーヒットピッチング。28日には広島2軍との試合で今季ファーム1勝目と、母校が甲子園出場を決めて以降、いい内容を続けているのは朗報だ。
この夏の興南は、「島袋2世」と呼ばれる1年生左腕・宮城大弥(ひろや)の存在も大きなトピックス。島袋を彷彿とさせるトルネード投法から、沖縄大会で三振ショーを演じた。そんな後輩たちの存在も、発奮材料のひとつとしたい。
ここ最近、「最強横綱」「21世紀最強チーム」とも称される大阪桐蔭。その存在感を高めたのが、間違いなく2012年の春夏連覇であり、その立役者である藤浪晋太郎だった。
センバツ1回戦で大谷翔平(日本ハム)を擁する花巻東に勝利すると、決勝では、田村龍弘(ロッテ)、北條史也(阪神)を擁する光星学院(現・八戸学院光星)を退け、センバツ優勝を達成。大会で投げた5試合すべてで150キロ以上を記録したのは史上初の快挙だった。
それでも、藤浪は満足しなかった。「春勝っても、夏勝たなければ意味がないんです」と口にし、夏の甲子園に登場。初戦から14個の三振を奪うと、準々決勝でも13奪三振。続く準決勝では強豪・明徳義塾を相手に2安打しか与えず、完封勝利で決勝戦に進出した。
迎えた決勝の相手は、センバツと同じく光星学院。しかし、雪辱に燃える光星ナインをまったく寄せつけず、決勝でも打たれたヒットは2本だけ。決勝戦史上最多タイの14奪三振を記録し、2試合連続完封。最後の打者を152キロのストレートで空振り三振にした瞬間、藤浪は両手を突きあげ、そしてキャッチャーの森友哉(西武)と抱きあった。
あの年、誰よりも高みに登りつめたのは、身長197センチのエース・藤浪だった。
あれから5年。阪神入団後も「甲子園のエース」として活躍を続けながら、今、その姿は甲子園にはない。
今季、制球難からプロ5年目にして初の無期限2軍調整中。その2軍でも、頭部への危険球を含め7四死球&7失点と大乱調だった7月2日の試合以降、3週間もマウンドにすら立てなかった。1軍復帰には、まだ時間がかかりそうだ。
苦しい夏を過ごす、かつての“春夏連覇”男たち。その勇姿が復活するのを待ち望んでいるのは、在りし日の姿を知る甲子園ファンであるのは言うまでもない。
(オグマナオト)