このオフシーズン、巨人が大型補強を行っている。丸佳浩、炭谷銀仁朗、中島宏之、ビヤヌエバ、そして岩隈久志を獲得と「らしい」動きを見せていると言ったところだろうか。各選手の入団会見にはもちろん、原辰徳監督が同席。コメントするわけだが、原家のDNAなのかそれとも巨人軍の教えなのか響く言葉が多い。
たとえば岩隈の入団会見では「メジャーリーグが第2の人生ならば、ジャイアンツでは第3の(人生を)野球人として大いに羽ばたいてほしい」とコメント。さすがの言葉選びだ。このように野球人のことばは胸に響くものが多い。そのなかから、日常生活で使えそうなものをいくつかピックアップしてみた。
会社勤めをしていれば、異動や配置転換、転勤の辞令がおりる時がある。そんなとき、どのように返答するのが正解なのか。できるだけかっこよく、そしてスマートに返事をしたいところ。そのシチュエーションで使えるのが、杉浦忠(南海)の発した言葉だ。
それは1988年のことだった。大阪球場を本拠地としていた南海がダイエーに身売り。福岡へと本拠地を移すことになった。そう、現在の福岡ソフトバンクホークスの前身である。その当時、南海の監督を務めていた杉浦が大阪球場最後の試合でスピーチを行った。そのときのセリフがこれだ。
「長嶋くんではありませんが、南海ホークスは不滅です。行って参ります」
立教大時代の同級生である長嶋茂雄(元巨人)の引退スピーチを拝借し、結びに「行って参ります」と続け感動を誘った。行って参りますには「行って帰ってくる」という意味が含まれている。そこまで杉浦が意識していたのかは定かではないが、大阪に戻ってくることを最後のスピーチでファンに伝えたのである。
つまり、上司に対し「行って参ります」と伝えることは、また戻ってきますという意味になるのだ。愛着のある部署からの異動の場合は、意味を理解した上で使いたいところだ。もし帰ってきたくないのであれば「行きます」と答えるのがよいかもしれない…。
また、会社という組織に属している以上、行きたくなくても行かねばならない。しぶしぶ了承しなければいけないこともあるだろう。そんなときには「世界の福本」こと福本豊(阪急)の言葉がある。
「監督がいうてしもたもんは、しょうがないなぁ」
これは杉浦と同じく1988年に福本が発した言葉だ。当時、阪急ブレーブスはオリックスに身売りすることが決まっていた。そして、阪急としての公式戦最終戦がサブマリン・山田久志の引退登板でもあった。その試合後の挨拶で阪急を率いていた上田利治監督が「去る山田、そして福本」と発してしまう。
これは「去る山田、残る福本」と言おうとした上田監督が誤って発言したものだ。もちろん、福本は引退表明をしておらず、翌年も現役続行のつもりだった。しかし、監督の言葉通り引退してしまったのである。
監督が言ったのだからしょうがない。会社に置き換えると、上司が言ったのならしょうがない。といったところだろうか。福本はしぶしぶ引退したわけではないが、うまく使うと、しぶしぶ感が溢れることだろう。得することはあまりないかもしれないが…。
会社に入社してから月日が経てば上司の信頼を得て、プロジェクトや案件を任されることもあるはずだ。そこでの成果が昇給や昇進、ボーナスの査定につながることもあるだろう。そのときに思い出したいのが前田健太(ドジャース)の言葉だ。
「とにかく何かをしたかったと言うか、何かを残したかった」
これはPL学園高校時代の前田の言葉だ。2006年のセンバツに出場した前田は自身の好投もあり順調に勝ち進む。魅せたのは投球だけではない。準々決勝の秋田商戦ではホームスチールを成功させている。できることをやろう、という意識があったからこそのホームスチールと言えるだろう。
そしてもうひとつ。炎のストッパーとして活躍した津田恒実の座右の銘だ。
「弱気は最大の敵」
津田本人が発したわけではなく、津田が授けられたものではあるが、生涯いたるところで語っている。それだけ津田の心に刻み込まれていたということだ。何を任されたとしても弱気にならずに仕事を進めたいものだ。
このように、プロ野球選手の言葉は日常、仕事で使えそうな台詞がある。うまく、アレンジして使用してほしい。
■参考文献
『80年代プロ野球名語録 パ・リーグ編』セブン&アイ出版/キビタキビオ著)
『甲子園100の言葉』(彩図社/吉野誠著)
文=勝田聡(かつた・さとし)