清宮フィーバーだけじゃない!早稲田実業野球部の「伝統力」を見逃すな!
「高校野球100年」節目の大会でもあり、例年以上に盛り上がりをみせる夏の甲子園大会。要因はさまざまだが、西東京代表・早稲田実業の快進撃も、そのうちのひとつではないだろうか。
今治西戦に続き、8月13日の広島新庄戦も勝利して、ベスト16に進出。清宮幸太郎フィーバーに始まり、甲子園でも注目が集まった早稲田実業は、主将・加藤雅樹を中心とした、まとまりがあり、接戦の強さが印象に残る好チームだ。本日15日に東海大甲府との対戦を控えている。
ここでは、その早稲田実業野球部について、改めて振り返ってみたい。
東京一の伝統校!
今夏まで甲子園に49回出場して、春1回、夏1回の優勝を果たしている伝統校の早稲田実業。硬式野球部は1905年に創部し、甲子園には第1回大会から出場している。1924年春、1925年夏には準優勝を果たした。しかし、その後は甲子園に進んでも初戦で敗退することが多かった。
◎王貞治を擁して全国の頂点へ!
1957年春、ついに全国の頂点に立った。前年に入学した、のちの「世界の本塁打王」王貞治がエースで4番として活躍。チームを牽引して関東勢としては初の日本一の座に就いた。
1980年には、1年生エースが旋風を巻き起こした。本来のエースである芳賀誠が負傷したため、急遽、マウンドに上がることになったのは入学したばかりの荒木大輔(元ヤクルトほか)。控えの内野手でメンバー入りした東東京大会で結果を出すと、甲子園では5試合で4完封をいう離れ業をみせて、決勝戦進出を決めた。横浜には4−6で敗れるも、野球の実力に加え、顔面偏差値の高さと、準優勝に終わる儚さとが重なり、女性人気が爆発し、日本列島に「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした。このような社会現象の中だったが、荒木が在籍中の早稲田実業は5季連続で甲子園出場を果たしている。
◎斎藤の力投で夏の甲子園初制覇!
記憶に新しいのが、2006年夏の甲子園決勝戦だ。エース・斎藤佑樹(現日本ハム)が、駒大苫小牧の田中将大(現ヤンキース)との息詰まる投手戦を演じた。
1−1のまま延長15回まで決着がつかず、1969年夏の松山商対三沢以来、37年ぶりに決勝再試合が行われることになった。15回を投げ切ったにも関わらず、翌日の再試合でも斎藤は先発を志願。9回表に2点を奪われ、4−3に詰め寄られるものの、2死までこぎつけた。そして迎えた田中を渾身のストレートで空振り三振を奪い、母校を夏の甲子園初優勝に導いたのだった。この2日間にわたる激闘は、全国の高校野球ファンを魅了した。
早稲田実業野球部は、高校球界で屈指の伝統を誇り、東京代表としても多くの人々からの注目を浴びて戦ってきた。そこで結果を出してきたのは「伝統力」のなせる業だろう。清宮フィーバーで嫌でも注目を集めた今大会。しかし、観客の視線や、マスコミの過度な報道を力に変えつつある早稲田実業。果たして、強敵・東海大甲府をその「伝統力」で倒すことができるか。今日の試合は必見だ。
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