巨人から交換トレードで日本ハムに移籍した矢野謙次が、新チームに加入して一夜明けたばかりの12日の試合でスタメン出場し、猛打賞(二塁打3本)&お立ち台のド派手デビューを飾った。
この試合、真新しい背番号「37」で新天地デビューを飾った矢野だったが、ストッキングには巨人時代の背番号「48」の数字が残ったまま。いかに突然のトレード劇だったかを物語っていた。
プロの世界ではいつ、誰に訪れるかわからないトレード。突然の移籍で翻弄された男たちの悲喜こもごもを振り返ってみよう。
矢野のストッキングの例を代表するように、突然のトレードで困るのが道具類の調達だ。ユニフォームは球団が揃えてくれるとして、スパイクやグラブ、ストッキングなどは選手が自分で手配しなければならず、移籍先のチームカラーに合わせるのも、シーズン中ではなかなか難しい。
国内ですらそうなのだから、メジャーリーグで活躍する日本人選手の移籍はもっと大変な騒ぎとなる。たとえば、2004年9月にロサンゼルス・ドジャースからシアトル・マリナーズへとトレード移籍した木田優夫は、急な移籍で日本の契約メーカーから用具を手配することができなかった。そこで取った手段が、ドジャースのチームカラーだった青色のスパイクをマジックで黒く塗りつぶす、というもの。「木田画伯」として、マジック片手にさまざまなイラストを描き続けた男でも、スパイクにマジックをあてる日が来るとは想像していなかったはずだ。
日本以上にトレードが日常茶飯事のメジャーリーグ。試合途中にトレードが言い渡された選手が退いて、移籍先のチームが試合をする球場に向かう話はよくある。特にスゴいのは、この一件。1日に移籍前と移籍後の2チームでヒットを打った選手がいたのだという。
1982年8月4日、ニューヨーク・メッツに所属していたヤングブラッドはシカゴで行われたカブスとのデーゲームに出場。3回に2点タイムリーヒットを放ったが、その直後にモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)へのトレードが決定。4回の守備から交代し、すぐにエクスポズの遠征地であるフィラデルフィアに向かった。そして、チームに合流し、6回裏の守備から試合に出場(こちらの試合はナイトゲームだった)。7回には内野安打を放った。こうしてヤングブラッドは、同じ日に2つのチーム、2つの球場でヒットを放つという珍記録を達成した。
近年、日本ハムと巨人の間ではトレードが盛んに行われている。代表的な例が、2006年のシーズン開幕直前に行われた、岡島秀樹←→實松一成・古城茂幸という1対2のトレードだ。中継ぎ左腕を欲していた日本ハムが岡島を、阿部慎之助のサポート捕手を欲していた巨人が實松を求める形で双方の思惑が一致。つまり、古城は實松の「オマケ」的な扱いだった。
このトレード劇が開幕直前に突然組まれたこと、そして古城が「オマケ」だったことは、当時の原辰徳監督の言動からも見て取ることができる。古城茂幸の自著『プロ野球生活16年間で一度もレギュラーになれなかった男がジャイアンツで胴上げしてもらえた話』(本木昭宏との共著/東邦出版)に記された、移籍当日の原監督のコメントを引用しよう。
《いよいよ監督がこちらを向いてくれた。待望の瞬間である。「おまえさんは、内野手だよな?」 古城茂幸というプレーヤーの存在をまったく知らない雰囲気だった……》
監督も把握できていない選手を獲得し、その選手が後にチームに欠かせない存在になるのだから、トレードは奥深いし面白い!
さて、冒頭で記した移籍デビュー戦での活躍に続き、14日の試合では移籍後初ホームランを放ち、2度目のお立ち台を経験した矢野謙次。マイクが割れんばかりの声量で叫ぶ「ファイターズ最高ぉー!」が早くもTシャツ化が決まり(6月28日まで受注生産販売期間)、定番パフォーマンスになりつつある。ドタバタ移籍劇にも乱されず、このまま新天地で結果を残し続けることができるのか? また、7月31日までのトレード期限までに、他にトレードは成立するのだろうか? 大いに注目していきたい。