1986年、来日4年目のランディ・バース(当時阪神)がNPB歴代1位の打率.389をマーク。有名な掛布雅之、岡田彰布との巨人戦でのバックスクリーン3連発、そして阪神を21年ぶりの優勝に導いた翌年のことだった。
43試合目に.346で打率トップに躍り出ると、さらに打率を上げて65試合目に4割台に到達。69試合目の.407がピークだったが、その後は打率が下降し、再び4割台に乗ることはなかった。
それでも3割後半のペースは守り、最終的に張本勲(元巨人ほか、当時東映)が持っていた最高打率.383の記録を更新。同年は本塁打と打点もトップで三冠王に輝くなど、まさに「史上最強の助っ人」の呼び声にふさわしい活躍ぶりだった。
1994年といえば、イチローが登録名を本名の「鈴木一朗」から「イチロー」に変更して話題を呼び、NPB初の200安打(最終的に210打)を記録するなど、大ブレイクしたあの有名なシーズンだ。
130試合制の当時、シーズン終了ギリギリの124試合目まで.390の高打率をキープ。最終的に当時のパ・リーグ記録の.385を達成した。
もっとも、当時は「打率4割」よりも「安打数」の方が話題の中心に。同年に最多安打が連盟表彰のタイトルに加えられたほどの注目ぶりだった。
そしてメジャー挑戦の前年にあたるNPB最終年の2000年は、日本での集大成ともいうべき大活躍。79試合目までに.401、102試合目でも.392という高打率をキープ。最終的に自身の持つパ・リーグ記録を更新する.387を記録した。
その後のメジャーでの活躍は言うまでもないだろう。
NPB史上で夢の4割に最も迫ったのが1989年、来日6年目だったウォーレン・クロマティ。頭部に死球を受けた翌日に劇的な代打満塁本塁打を放った3年後のシーズンだ。
58試合目まで4割台をキープしたがその後は3割台に下降。しかし、89試合目に再び4割台に達し、97試合目には年間の規定打席数(当時は403打席)をクリアした上で.401。もし、ここで残り試合を欠場すれば、4割打者が誕生していたことになる。
しかし翌日の試合で4割を切り、その後は再び4割台に戻ることなく最終的には.378で終えた。結果的にバースの日本記録も超えられなかったが、この打率は巨人の歴代最高打率である。
ちなみに世界に目を向けると4割打者は結構いる。
米大リーグでは1900年以降の近代野球と限定しても、1901年のナップ・ラジョイ(当時アスレチックス、打率.426)、1911年、1912年、1922年のタイ・カッブ(当時タイガース、1911年:打率.420、1912年:打率.409、1922年:打率.401)ら8人が13回達成。
韓国プロ野球では1982年の白仁天(当時MBC青龍、現LGツインズ、打率.412)、台湾プロ野球では2016年の王柏融(Lamigoモンキーズ、打率.414)ら3人が達成している。
さて今季の近藤は夢の4割打者となるか。結果やいかに?
(成績は5月25日現在)
文=サトウタカシ (さとう・たかし)