全国有数の激戦区である神奈川。近年では横浜高、東海大相模高、桐光学園高、慶應義塾高などが毎年、しのぎを削っている。その神奈川において、2003年と2004年の2年に渡って激戦を繰り広げたのが横浜高と横浜商大高だ。
2003年の横浜商大高には2年に田澤純一(マーリンズ)がいた。また、横浜高は3年に成瀬善久(ヤクルト)、荒波翔(DeNA)、2年に石川雄洋(DeNA)、涌井秀章(ロッテ)と多くのスター候補が揃っていた。
両校は2003年夏の神奈川大会決勝で激突し、横浜商大高が7対2で勝利。1993年以来、10年ぶり3度目の甲子園出場を決めている。なお、甲子園での田澤の登板機会はなかった。
翌2004年も両校は準決勝で対戦。今度は16対3の大差で横浜高が勝利。前年の雪辱を果たしている。
卒業後、成瀬はロッテに、荒波は東海大、トヨタ自動車を経て横浜(現DeNA)に入団。涌井は西武、石川は横浜に入団。田澤は新日本石油ENEOS(現JX-ENEOS)で実績を残し、日本プロ野球を経由せずメジャーリーグへ挑戦。レッドソックスで中継ぎとして貢献し、今シーズンからマーリンズでプレーしている。
田澤とのプロでの再戦は難しそうだが、いつか、どこかで彼らが交わる日を待ち望みたい。
神奈川での勝負をもうひとつ紹介したい。神奈川大会で伝説となっている2007年夏の東海大相模高対横浜高の準決勝だ。
この試合では、東海大相模高の菅野智之(巨人)が振り逃げ3ランを記録。これが決勝点となり、6対4で東海大相模高が決勝へとコマを進めている。
なお、東海大相模相模高では田中広輔(広島)、大田泰示(日本ハム)、友永翔太(中日、当時の名字は内田)、菅野がスタメン出場。一方、横浜高は高濱卓也(ロッテ)、土屋健二(元DeNA)、筒香嘉智(DeNA)が顔を揃えるなど、後のプロ野球選手が多く試合に出場していた。
また、控えにも東海大相模高は角晃多(元ロッテ)、横浜高には倉本寿彦(DeNA)がいた豪華メンバーだった。
事実上の決勝戦と言われたこの試合に勝利した東海大相模高だが、決勝で桐光学園高に敗退。甲子園出場を逃してしまった。ちなみに、この年の桐光学園高からはプロの選手は誕生していない。
後のプロ野球選手が多く揃っているからといって必ずしも優勝できるわけではない。これも高校野球の面白さと言えるだろう。
広島屈指の強豪・広陵高。野村祐輔(広島)と小林誠司(巨人)のバッテリーを擁した2007年夏の甲子園決勝では、「がばい旋風」の佐賀北高に大逆転で敗れたことで記憶に新しい。
ここで紹介したいのはその前年の2006年夏、広島大会準決勝での崇徳高戦だ。広陵高と崇徳高はともに甲子園での優勝経験がある名門校。全国のオールドファンが注目する1戦だった。
広陵高は野村、小林の1学年上に当たる吉川光夫(巨人)がエース。崇徳高の4番は、1年時から4番に座り主砲として貢献してきた「アジャ」こと井上晴哉(ロッテ)だった。
この一戦では吉川が先発のマウンドに立ったものの4失点を喫し、野村に後を託している。試合は野村の失点が響き、崇徳高が6対3で勝利した。しかし、決勝で崇徳高は如水館高に0対2で敗退。高校通算31本塁打を放った広島きってのスラッガー・井上は甲子園出場とはならかなった。
2000年夏の埼玉大会決勝は埼玉高校野球界屈指の名勝負として知られている。春日部共栄高と浦和学院高が戦ったこの一戦。春日部共栄高には中里篤史(元巨人)、浦和学院高には坂元弥太郎(元ヤクルトほか)、1学年下に大竹寛(巨人)と後にプロに進む好投手が揃っていた。
試合は先発した中里と坂元が奮闘し、1対1の投手戦のまま延長戦に突入。延長10回裏に浦和学院高がサヨナラ勝ちを収め、甲子園出場を果たした。なお、サヨナラのホームを踏んだ走者は坂元だった。
息詰まる投手戦を制して出場した甲子園でも、坂元は八幡商業高戦で19奪三振を奪うなど本領発揮。2回戦で敗退したが、大きなインパクトを残して甲子園を去った。
このように地方大会でも、多くのプロ野球選手たちが熱戦を繰り広げてきた。今夏の地方大会は続々と優勝校が決まっている段階だが、これからも地方大会に注目し、未来のスター候補生の活躍を目に焼きつけたい。
文=勝田聡(かつたさとし)