2011年オフ、村田修一は「優勝できるチームに身を置きたい」という理由で横浜を去り、巨人へ移った。言うまでもなく村田はDeNAの主砲として欠かせない存在だった。2007年に36本塁打、2008年には46本塁打を記録して、2年連続の本塁打王を獲得している。
巨人での1年目に村田は念願のリーグ優勝を果たし、日本一にも輝いた。奇しくも今季は、村田のいる巨人とDeNAがCSファイナルステージで優勝争いを繰り広げ、巨人が敗退した。
村田がDeNAを離れた翌2012年オフ、吉村裕基はトレードによりソフトバンクに移籍した。横浜・DeNA時代、その外見から「ハマのモンチッチ」と親しまれたキャラクターの持ち主で、村田が本塁打王に輝いた2008年には34本塁打を記録した。
吉村自身は福岡出身ということもあって、ソフトバンク・秋山幸二監督(当時)に幼少期から憧れていたという。
内川聖一は2010年にFA権を獲得して、ソフトバンクに移籍した。横浜では2008年に首位打者を獲得。セ・リーグの日本人選手最高記録となる打率.378を記録した。
この2008年の横浜打線は、前述の村田、吉村、そしてこの内川がクリーンナップを固めていたのだから破壊力は抜群だった。しかし、投壊によりチームは最下位に沈んだ……。
藤田一也は2012年のシーズン中に、楽天との間に成立した内村賢介とのトレードによりDeNAを去った。藤田は、巨人から横浜にやってきた名手・仁志敏久氏に「日本一守備がうまい選手」と言わしめたほどの守備力を誇っていた。藤田の代わりにDeNAに移った内村は、今季終了後に戦力外を通告された。
横浜の正捕手だった相川亮二は、2008年のオフにメジャー挑戦を目指したがMLB球団との交渉が不調に終わる。結局、国内のヤクルトに移籍した。2008年までの3年間は選手会長も務め、「横浜の顔」だったのだが……。
プロ野球選手は自身の実力を信じるがゆえ、チームの低迷が続けば上位球団への移籍を希望する選手が多く現れるのは仕方がない。
ただ筆者としては、プロ野球が子どもに夢を与えるスポーツなら、強いチームにいくより今のチームを強くしてほしいと願う。そして、三浦大輔のようにチームを象徴する選手となれば、ファンにとっては理想的なヒーローだ。
文=元井靖行(もとい・やすゆき)