1992年とは阪神にとってどういうシーズンだったか。
大きな出来事は、入団2年目の湯舟敏郎が6月14日広島戦でノーヒットノーランを達成。史上58人目の偉業を甲子園で達成したこと。
また、9月11日に優勝争いの相手・ヤクルトと直接対決。この大一番は6時間26分の激戦の末、延長15回、3対3の引き分けに終わる。俗にいう「八木(裕)の幻のホームラン」が出たゲームで、この試合時間は今も最長試合時間記録となっている。
そして、その5日後の9月16日の広島戦。この年、彗星のごとく現れたヒーロー・新庄剛志が広島のリリーフエース・大野豊からサヨナラホームランを放ち、お立ち台で「優勝宣言」。ここから、虎ファンのボルテージが一気に優勝ムードに傾いたことを記憶されている方も多いのではないだろうか。
彗星のごとく現れたのは、新庄だけではなかった。後に新庄とともに「亀新フィーバー」を起こした亀山努もブレイク。2年連続でウエスタン・リーグの首位打者に輝きながら1軍での出場機会をほとんど得らなかった亀山が、ようやく花開いた。
また、ルーキーの久慈照嘉(現・阪神内野守備走塁コーチ)が、遊撃手として新人離れした守備を見せ、ベテランの平田勝男からレギュラーを奪い、新人王にも輝いた。
中堅どころでは和田豊、八木がチームを引っ張り、岡田彰布らベテランと新人が世代交代していくきっかけになった年でもあった。
では、昨季から「超変革」を続ける今季の阪神と1992年の戦力を比べてみるとどうだろうか。
1992年は、ようやく覚醒した仲田幸司が14勝を挙げ、生涯唯一の2ケタ勝利を記録。また、湯舟、中込伸、野田浩司も活躍。抑えでは、完璧に打者を封じ込めた「たむじい」こと田村勤が前半戦で躍動した。
今季の阪神も12球団で唯一、チーム防御率2点台(2.90)を誇る投手陣がチームを牽引している。
また、世代交代を促した新庄、亀山、久慈の起用と台頭も、昨季から若手を積極起用している金本阪神に通じる部分が大きい。
攻撃陣を見ると、1992年はパチョレック、オマリーというベテラン外国人選手が打線を支えた。今季は福留孝介、糸井嘉男、鳥谷敬のベテラントリオが前半戦を支えているのは言うまでもない。
1992年と共通点の多い今季の阪神。気になるのは、1992年の阪神が優勝を逃した末に、次の優勝まで11年にも渡る低迷期を迎えたということだ。
将来的に見て阪神はどうなのか?
やはり今季、優勝を逃すと再び低迷期がやってくるのだろうか?
1992年ブレイクした新庄と亀山は、それ以降レギュラーとして名前は連ねたものの、チームを優勝に導くほどのパフォーマンスではなかった。
では、高山俊、原口文仁、北條史也、糸原健斗、中谷将大、梅野隆太郎ら若虎たちのこれからはどうだろうか?
1992年と比べ、チーム内の競争は激化している。現在のチームには、優勝を目指し戦いながら育成する、というチーム方針が貫かれているからだ。彼ら若虎には、将来の常勝チームを担う中心選手に育つことを期待する。
優勝を目の前にして苦杯をなめ、それ以降「ダメ虎」になってしまった当時の阪神。しかし、今は違う。近い将来、「優勝」、そして「強い阪神」というファンの願いはきっと成就するに違いない。
文=まろ麻呂
企業コンサルタントに携わった経験を活かし、子供のころから愛してやまない野球を、鋭い視点と深い洞察力で見つめる。「野球をよりわかりやすく、より面白く観るには!」をモットーに、日々書き綴っている。