書籍『野球部あるある』(白夜書房)で一躍、「野球部本」の世界を切り拓いた菊地選手とクロマツテツロウ。今度は「ありえない野球部」について迫る「野球部ないない」という新機軸で、『週刊野球太郎』でもタッグを結成した。
第1回は「東の横綱」と称される、帝京高校野球部(東京)。普通の野球部では「ないない」と言われるであろう「帝京野球部あるある」を紹介……その前に、菊地選手が高校時代に植えつけられた帝京野球部に対するトラウマについて綴った。
僕が「帝京高校野球部」というものに対して抱くイメージ。
それは、「恐怖」でしかなかった。
14年前の秋、僕が通っていた高校で毎年恒例になっていた文化祭の野球部招待試合。強くもなく、注目度も高くない野球部のグラウンドバックネット裏に、例年よりも多くの観衆が詰めかけていた。無理もない。相手はあの「帝京」だったからだ。
いったいどういう経緯でブッキングが成り立ったのかは、いまだにわからない。同年夏に森本稀哲(現・DeNA)を擁して甲子園に出場していた帝京が、野球部専用バスに乗って自分の高校にやって来て、外野の土の上でウォーミングアップをしている。
テレビ画面でしか見たことがない、縦縞に「Teikyo」の文字が入ったユニフォーム。当たり前のように並ぶ180センチを超える選手たちの充実した体躯。そして鋭く目を光らせているのは、あの前田三夫監督。
これから戦う相手なのに、どこか他人事のように思えてしまう、不思議な光景だった。
練習試合にもかかわらず、帝京のメンバーは全員背番号を付けていた。当時のチームには2年生ながら夏の甲子園で主戦として登板していた左右の二枚看板がいた。ともに190センチ前後もある、長身の本格派。しかし、そんな目立ちすぎる二人の姿が見えない。
−−あの噂は本当だったのか…。
それは、「帝京の2年生が、前田監督から一斉に干された」という噂だった。
夏の甲子園に出場し、エース二人を残して新チームに移行した帝京は、秋の大会でも優勝候補筆頭だった。しかし、帝京は東京大会本大会1回戦で、まさかのサヨナラ負けを喫する。そのショッキングな敗戦直後、東京ではそんな噂が流れていた。
実際にその日、2年生はキャプテンの遊撃手とレギュラー捕手の二人しか来ていなかった。つまり、部員のほとんどが高校に入学して半年あまりの1年生だった。
普通のチームであれば、「なめられてる」と思ったかもしれない。でも、ただの1年生ではない。「帝京の1年生」なのだ。
左中間の高いフェンスを越えていく打球を、駆けながら見送った。
僕はライトにいた。帝京の4番・キャプテンが振り抜いた瞬間に、打球の落下地点がこのグラウンドにないことはわかっていた。それでも全力で打球を追いかけた。プロ野球の外野手のように、ホームランになる打球を追わない高校球児なんて、高校時代のダルビッシュ有(東北高/現・レンジャーズ)くらいしかいない。
その後も、僕は何度も何度も、フェンス際に転がるボールを追いかけることになった。
これだけホームベースに向かって後ろを向いていれば、気持ちもどんどん後ろを向いていく。
ただ打たれるだけならまだしも、帝京の選手たちは体が大きいくせに、嘘のように足が速かった。キャッチャーがワンバウンドの投球を少しでも弾こうものなら、次の瞬間にはランナーが先の塁でスライディングしていた。
そして二枚看板がいない帝京マウンド。言ってみれば飛車角落ちのはずなのに、背番号「1」を付けた右投手の球が腹立たしいくらい速い。恐らく140キロ前後は出ていただろう。あとで1年生だと知った。
スコアボードにはわかりやすく「明」と「暗」が連なっていき、最終的に合計された数字は「24」と「1」になった。
試合後の整列に向かうとき、僕はバックネット裏を見ることができなかった。
「悔しい」という感情は湧いてこなかった。ただただ、惨めだった。
第一試合と第二試合の合間、学校の食堂に昼食が用意されていた。
いつもは校内で争奪戦になるくらい大人気の「から揚げ定食」だったのに、そのときの味はまるで覚えていない。
かといって、まったく喉を通らないというほどのことはない。すべてたいらげ、再びグラウンドに向かおうとしたとき、異変が起こったことに気づいた。
食堂出口付近で固まって食事していた帝京野球部の中で、一人泣いている部員がいた。
頬を伝う涙を拭うこともせず、ゆっくりと、そしてためらいながら鶏の肉塊を口へと運んでいる。
どう好意的に見ても、鶏のから揚げが大好物というふうには見えなかった。
異様な光景を前に、僕たちはいっそう言葉を失くして、そそくさと食堂を後にした。
そのとき初めて、「俺たちはあいつらには一生勝てない」と思った。
あとで聞いたら、泣いていた部員はやはり鶏肉が嫌いで食べられなかったそうだ。しかし、残すことを許さない男がいた。もちろん、闘将・前田三夫である。
勝つためなら容赦はしない。使えないなら最上級生でも干す。鶏肉を食べられない奴は泣かしてでも食べさせる…。
僕の中で、帝京野球部の…というより、前田監督への恐怖心が、決定的に植えつけられたのはこの日だった。
それ以来、僕の中に「帝京・前田」への畏れは残り続けている。
多くの強豪・名門野球部を取材するようになった今も、それは変わらない。
ここまでの傷痕を残した「帝京野球部」とは、いったい何だったのか。次回以降、「帝京野球部あるある」という形で、改めて紐解いていきたいと思う。
文=菊地選手(きくちせんしゅ)/1982年生まれ。編集者。2012年8月まで白夜書房に在籍し、『中学野球小僧』で強豪中学野球チームに一日体験入部したり、3イニング真剣勝負する企画を連載。書籍『野球部あるある』(白夜書房)の著者。現在はナックルボールスタジアム所属。twitterアカウント @kikuchiplayer
漫画=クロマツテツロウ/1979年生まれ。漫画家。高校時代は野球部に所属。『野球部あるある』では1、2ともに一コマ漫画を担当し、野球部員の生態を描き切った。雑誌での連載をまとめた単行本『デンキマンの野球部バイブル』(白夜書房)が好評発売中。twitterアカウント @kuromatie