松坂大輔(ソフトバンク)が9年ぶりに日本球界復帰。これで大いに期待されるのは、同じ1980年生まれである「松坂世代」の選手たちとの対決だろう。松坂がメジャーに渡った後、海の向こうのライバルに負けじと彼らも切磋琢磨を続け、それぞれの地位を確立した。
とりわけ、高校時代に松坂と対戦し、敗れた者たちとの再戦に、野球ファンは胸が高まるに違いない。そんな松坂と主なライバルたちとの高校時代の対決を振り返ってみよう。
1998年センバツで東福岡高の「3番・投手」で出場していたのが村田修一(巨人)。3回戦で横浜高と対戦し、松坂とは第1打席、第2打席ともに三振するなど4打席凡退。一方、投手・村田vs打者・松坂の対決では、0−0で迎えた6回、フェンス直撃の先制タイムリー二塁打を打たれた。その後も追加点を失い、0−3で敗れている。村田は松坂と対戦したことで、「投手としては松坂が上」と感じ、日本大へ進学すると同時に打者へ転向した。
村田は東都大学リーグ歴代2位タイの通算20本塁打を放ち、長距離打者として成長した。2002年のドラフト、自由獲得枠で横浜に入団すると、2007年、2008年と2年連続で本塁打王を獲得。積み重ねた本塁打数は「松坂世代」の野手では最多の309本。「松坂世代」の打の主役として、「男・村田」は松坂との対決を心待ちにしているはずだ。
1998年春のセンバツ決勝で松坂と投げ合ったのが、関大一高のエース・久保康友(DeNA)だった。
69年ぶりの甲子園出場となった関大一高は、準々決勝で浦和学院高、準決勝で日大藤沢高を次々と破り、決勝へ進出。試合は2回に横浜高が先制するも、3回以降は松坂、久保の投げ合いで試合はこう着する。1点差で迎えた7回、松坂自らのタイムリー三塁打などで横浜高が2点を挙げ、試合を決める。久保は最後まで投げ切るが、打線が松坂の前に4安打に抑えられ0−3で敗れた。
久保は関大一高を卒業後、松下電器(現パナソニック)に入社。なかなか結果が出せなかったが、5年目から登板機会が増え、6年目の2004年ドラフト会議において、自由獲得枠でロッテに入団した。「松坂世代最後の大物」の形容に違わず、1年目に10勝を挙げ、新人王を獲得。その後、阪神に移籍し、昨オフにFAでDeNAへ。2014年は4年ぶりの2ケタ勝利で、復活をアピール。DeNA投手陣において、久保の存在は大きく、初のクライマックスシリーズ出場に向けて、欠かせない選手である。
今季のDeNAvsソフトバンクの交流戦は6月2日から4日、松坂が高校時代に慣れ親しんだ横浜スタジアムで行われる。2006年6月24日以来となる久保との投げ合い、そして高校時代のチームメイト・後藤武敏との対決も実現するかもしれない。
1998年度は公式戦で一度も負けなかった横浜高。その横浜高と最も対戦したのが、日大藤沢高であり、1997年秋の神奈川県大会決勝、関東大会決勝、1998年春の関東大会決勝と3度も戦った。当時の日大藤沢高のエースは館山昌平(ヤクルト)。松坂と館山はそのうち2度先発で投げ合った。
1997年秋の県大会決勝では館山が6失点を喫したのに対し、松坂は11奪三振の完封。9−0で横浜高が勝利した。しかし、2度目の投げ合いとなった1998年春の関東大会決勝では、両者互いに譲らぬ投手戦を展開。延長戦に突入しても、スコアボードに0が並び続けた。延長13回表、松坂の内野ゴロの間に決勝点が入り、1−0で横浜高が制した。松坂、館山ともに150球を超える死闘となった。後に松坂は雑誌のインタビューで、この試合を自身のベストゲームに挙げている。横浜高といえば、PL学園高との対戦が印象的であるが、日大藤沢高と繰り広げた戦いも覚えておきたい。
右ヒジ手術のため、今季は1軍登板なしに終わった館山。プロ入り後、2人の投げ合いはまだ実現していない。館山が1軍のマウンドへ戻り、交流戦で高校時代のライバルと、17年ぶりとなり対戦は実現するのだろうか?