1997年の第49回選抜高等学校野球大会には30校が出場。四国代表の中村は初出場だった。中村は部員が12人しかいないことで「二十四の瞳」と称され話題をさらった。初出場ながら、あれよあれよと勝ち上がり、決勝戦まで駒を進める。決勝では箕島と対戦。善戦したが0対3で敗れてしまう。長身のエース・山沖之彦は、5試合全てを投げ切った。
山沖はその後、専修大に進学。4年秋には東都大学リーグで優勝。最高殊勲選手に輝く。1981年のドラフト1位で阪急に入団し、阪急、オリックスで13年間に渡って活躍。1984年には最優秀救援投手、1987年には最多勝に輝き、通算327試合で112勝101敗24セーブの成績を残している。
一方、夏の甲子園、第59回高校野球選手権大会は、劇的な幕切れだった。決勝は東洋大姫路と東邦の一戦。東邦の1年生エース・坂本佳一が「バンビ」の愛称で人気となった大会だ。
試合は1対1の同点で延長戦に突入。10回の裏、東洋大姫路の攻撃、2死ながら2人の走者を置いて4番に座る主将・安井浩二が打席に。ここで安井が右翼ラッキーゾーンに本塁打を放ち、東洋大姫路が劇的なサヨナラ勝ちを決める。決勝でのサヨナラホームランは大会初のことだった。
ちなみにこのときの優勝投手である松本正志は、この年のドラフトで阪急から1位指名を受け入団している。
高校野球の次は、プロ野球を振り返ろう。
阪急は1975年に初の日本シリーズ制覇。1976年には巨人を破り連覇を成し遂げた。この年、阪急が狙うのはもちろん三連覇。
当時のパ・リーグは2シーズン制を採用しており、前期を阪急が、後期をロッテがそれぞれ優勝した。両チームによるプレーオフでは阪急が4勝2敗でロッテを下し、パ・リーグを制した。
一方、セ・リーグは2年連続で巨人が優勝。2位のヤクルトに15ゲーム差をつけ、勝率.635でのぶっちぎりの優勝だった。シーズン中には王貞治がハンク・アーロンの通算本塁打記録を抜く756号ホームランを記録している。
阪急と巨人の日本シリーズは、第4戦でのあるプレーが流れを変えたといわれている。
阪急の2勝1敗で迎えた後楽園球場での第4戦。2対1で巨人がリードの9回表2死。巨人があと1アウトを取れば2勝2敗のタイに持ち込めるという状況。阪急は四球で走者が出たところで、代走に簑田浩二を送った。
簑田はすかさず二塁に盗塁を決める。その後の浅いレフト前ヒットで簑田は一気に本塁を突く。クロスプレーだったが捕手のタッチをかいくぐり同点のホームを踏む。この好走で一気に流れが阪急に傾き、この試合を阪急はものにした。結局、4勝1敗で阪急が日本シリーズ3連覇を成し遂げることとなった。
40年前に旋風を巻き起こした中村。今大会は21世紀枠での出場だが、昨夏の高知大会では準優勝、秋の高知県大会では明徳義塾を破った上で、優勝を果たすなど実力はある。今センバツも中村が旋風を起こすことになるか。活躍に期待したい。
文=矢上豊(やがみ・ゆたか)
関西在住の山本昌世代。初めてのプロ野球観戦は、今はなき大阪球場での南海対阪急戦と、生粋の関西パ・リーグ党。以来、阪急、オリックス一筋の熱狂的ファン。プロ野球のみならず、関西の大学、社会人などのアマチュア野球も年間を通じて観戦中。