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ビシエド(中日)は大丈夫? 貿易会社の社員から脱サラ入団のスノーら帰ってこなかった助っ人たち

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 6月24日、ビシエド(中日)が登録抹消された。アメリカ市民権取得のため一時渡米していたが、手続きが予想よりも長引き、再来日のスケジュールの目処が立っていないという。

 一報を聞いたファンは「まさか……」と疑ったはずだ。なぜなら過去、プロ野球界には一時帰国からそのまま退団した外国人選手が数多く存在するからだ。

 ビシエドは家族を日本に残しているということで再来日は間違いないらしい。一安心だが、歴代プロ野球で一時帰国からなかなか日本に帰ってこなかった選手、二度と日本に来なかった選手たちをおさらいしてみよう。

バール・スノー(日本ハム、1974年)


 プロ野球史上に残る「トンズラ助っ人」として有名なのがスノーだ。貿易会社の社員として日本にやってきたが、かつてはマイナーでのプレー経験があり、日本ハムの入団テストを受けたところ合格。1974年3月に「脱サラ入団」となった。

 「バッキー(元阪神ほか)並みの剛速球」との触れ込みだったが、4月に初月給を受け取ると翌日の2軍戦初登板をすっぽかし、その日のうちに失踪。在籍していた貿易会社を通じて、捜索の末に発見されたが、日本に戻る意思はなく、無期限失格選手となった。

ブラッド・ペニー(ソフトバンク、2012年)


 2006年のナ・リーグ最多勝の実績を持つペニー。近年のダメ外国人選手の中でも極めて異例な帰国外国人といえば、この男だ。

 開幕5戦目で先発したが、3回1/3、6失点でKO。降板後に右肩痛を訴え、精密検査をしたものの異常なし。

 すると、「アメリカの病院じゃないとわからない」と言い出して一時帰国。そこでも異常はなく、渋々再来日したものの、練習場から姿を消すなどあからさまにやる気のない行動で、5月には退団となった。

 帰国直後、自身のツイッターに書き込んだのがこれだ。

 It's great to be back in the states!!!!!(アメリカに帰ってこられて最高だぜ!)

 開いた口が塞がらない……。そして、ペニーはアメリカのメディアに帰国の理由を聞かれ、「肩を痛めていたにも関わらず、先発で120球を投げるよう要求された。頭にきた。自分を守らなければならなかった」と語った。

 64球しか投げてないだろ、と突っ込んだファンも多いはず。


ブライアン・バニスター(2011年、巨人)


 2007年から4年連続でロイヤルズのローテーション投手として投げ、「バリバリのメジャーリーガー」の肩書きで来日したバニスター。巨人でも先発の軸として期待されたが、3月11日に東日本大震災が起きると原発事故の不安から無断で帰国。

 球団は再来日をうながしたが、恐怖が払拭されないとして応じず、結局「もう野球はやらない」と引退した。

 日本人も大混乱に陥った未曾有の災害のなか、ましてや異国の地であったバニスターの恐怖感は十分に理解できる。

 脂の乗り切った時期に義を通して引退を決断したバニスターだが、日本での快投を見たかった気もする。帰国後は2015年からレッドソックスのスカウトを務め、今年から投手コーチ補佐に就任した。


ユリエスキ・グリエル(2015年、DeNA)


 記憶に新しいのはグリエル。2014年にキューバから鳴り物入りでDeNAに入団し、翌年もキューバ国内リーグが終わり次第、弟のルルデスJr.とともにチームに合流する予定になっていたが、ケガの治療を理由に来日せず。

 球団側は奔走したが、窓口であるキューバ政府から明確な回答がないまま開幕を迎え、2015年4月2日についに契約解除に至った。

 その後、2016年にグリエルは亡命。アストロズと巨大契約を結んだが、再来日しなかったのはメジャー側からのタンパリング(事前交渉)があったのではないかといわれている。


文=落合初春(おちあい・もとはる)

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