今や毎年のように有力選手を輩出している大阪桐蔭高校。その先陣を切ったのは、1988年のドラフトで中日から1位指名を受けた今中慎二だった。
入学当初から評判が高かったわけではなく、1年秋の大阪府大会で立浪和義などを擁するPL学園を抑えたことで、一躍プロ注目の選手に。
プロ入り後は、2年目の10勝を皮切りに2桁勝利の常連となり、4年目以降はスローカーブを武器に活躍。晩年は左肩のケガに悩まされたが、大阪桐蔭のパイオニアとしての功績は、計り知れないものがある。
高知県の甲子園常連校と言えば明徳義塾(当時、明徳)。同校の記念すべきプロ入り第1号は、1982年のドラフトで巨人に6位指名された藤本茂喜。
1982年のセンバツで4番を務め、そこで名を売ってプロへ。巨人には6年所属したが、1軍出場は1試合のみと、選手として大成することができなかった。
しかし引退後はスカウトとして、久保裕也や矢野謙次、最近では高木勇人を発掘するなど才覚を発揮。チームになくてはならない存在となっている。
2010年の春のセンバツで「創立2年目の高校が出場!」と話題になった創志学園。当時甲子園に出場した選手のプロ入りは叶わなかったものの、そのセンバツ初出場の年に入学した奥浪鏡が、2013年のドラフトでオリックスから6位で指名され、晴れて同校初のプロ野球選手となった。
その奥浪はまだ1軍出場こそないものの、2軍で年々ホームラン数を増やすなど順調に成長中。176cm95kgという体格からも、連想するのは西武のおかわりくんこと中村剛也だけに、後輩の頑張りから発奮を受けて、今年を飛躍の年にしてもらいたい。
今回挙げた3人の入団時期だが、方や1980年代、方や2010年代と極端に離れた。これは「最初」になることが、いかに難しいかを示していると思う。
野球に限らなくても、パイオニアになるのは非常に困難。だからこそ、その中で第1号になれるのはとても名誉なこと。もっと賞賛されるべきだと思う。
野球ファンは今まで以上に「最初の◯◯戦士」に注目してみてはどうだろうか。
文=森田真悟(もりた・しんご)