最近では、現在監督を務める高橋由伸の姿が記憶に新しい。
入団1年目から右翼のレギュラーを獲得し、プロ2年目には4番打者に座るなど着々と大打者への階段を駆け上がっていった。7年目の2004年には当時歴代8位となる850試合で1000安打に到達。誰もが将来、高橋が2000安打を達成するだろうと信じていた。
しかし、翌2005年以降はケガの影響で出場試合数が減り、それに比例するように安打数も2007年に155安打を放ったのを最後に、年間100安打を下回るシーズンが続く。それでも2011年には1500安打を達成。代打で新境地を見せたが、2015年シーズン終了後に原辰徳監督の後を受けて監督就任。突如現役を引退する。
通算安打数は1753。もしケガがなかったら、もし現役をあと数年続けていたら……と思わせてしまう名選手だった。
1980年代から1990年代半ばまで、長年巨人の野手陣を引っ張っていたのが篠塚利夫(現・和典)と原辰徳だった。
篠塚は芸術的な流し打ちに代表されるように、高い打撃センスの持ち主だった。1984年、1987年と首位打者を2度獲得し、数多くのヒットを重ねてきた。しかし、1990年以降は出場機会が減り始め、1994年には19年間の現役生活にピリオドを打つ。通算安打数は1696だった。
一方、原は長年チームの4番打者として活躍。4番打者として出場した1066試合は川上、長嶋、王に次ぐ巨人歴代4位の数字だ。入団1年目から12年連続で100安打以上を放っていたが、1993年以降はスランプやアキレス腱のケガの影響で成績が下降。現役最終年の1995年はベンチを温める日々が続き、同年限りで引退。通算1675安打でバットを置いた。
阿部の2000安打達成で、次に期待されるのは「阿部の次に2000安打を達成する巨人の生え抜き選手は誰か?」ということだろう。現在、その最有力候補となっているのがチームの顔・坂本勇人だ。
坂本は今季、7月9日の阪神戦で通算1500安打に到達。右打者では史上最年少となる28歳6カ月での達成というスピード記録だった。巨人でも王の持つ30歳4カ月を塗り替える記録になる。
現在のペースでヒットを積み重ねていけば、3、4年後には2000安打を達成する計算になる。「天才打者」と呼ばれた榎本喜八(元毎日ほか)の31歳7カ月という2000安打到達最年少記録を塗り替えられるのか? いまからでも注目していきたい。
文=武山智史(たけやま・さとし)